京都人は「おばんざい」などと言わない
私は昭和の時代に京都で生まれ育った。
社会人になり、全国どこへいくか分からない転勤族生活を経て、ふるさとに戻してもらって早10年以上が過ぎた。
ここ10年でその京都も様変わりした。
最近ではインバウンドと呼ばれる外国人観光客でごった返し、オーバーツーリズムが叫ばれている。
私が今回訴えたいのは、最近京都でやたら目にする「おばんざい」という言葉についてだ。
あっちこっちの居酒屋に「おばんざいの店」などと「おばんざい」を強調した看板やメニューが目につくようになった。
それもここ10年の変化だ。
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京都人の私は何とも気持ちが悪い。
私の知る限りでは京都の人間で「おばんざい」などという言葉は使わないはずだからだ。
そもそも知らなかったくらいだ。
ところでその「おばんざい」って何なのか。
調べると、漢字では「お番菜」と書くのだそうだ。
番茶と同じく常のものを表し、常の惣菜という意味らしい。
一般家庭の常の惣菜をイメージするものだとか。
「おばんざいの店」は、いわゆる「京料理」という高級感をイメージするものと違い、庶民的な家庭料理の店ということだろうか。
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一説には、1964年に朝日新聞が「おばんざい」というタイトルで京都の家庭料理を紹介するコラムを連載したことが発端らしい。
でも、10年くらい前までは地元で全く聞くことも見ることもなかった。
もちろん、私もそんな言葉を知らなかった。
もしかしたら大昔に使っていたのか。
今でも元から使ってた京都人もいるのか。
それも知らない。
今では「おばんざい」は京言葉のように思われているようだ。
観光客にはたまらない響きらしい。
特に外国人観光客は、わざわざ「おばんざいの店」を調べて訪れるという。
だから、店側も恩恵にあずかろうと「おばんざい」という言葉を店の看板に掲げることが増えたのだろう。
私の感覚では、京都人が昔から使っていた言葉は、「おばんざい」ではなく、「おかず」または「お惣菜」なのだ。
「はんなり」という言葉も同じだ。
一般の京都人は使わない。
昔は使ってたのかもしれないし、花街では使うのかもしれない。
でも、使ったことのない私にしてみれば、テレビや雑誌などでも、京都人は「はんなり」を多様してるかのように言っていたりする。
京都のイメージが一人歩きしてるようで、あまりいい気はしない。
「本当の地元の人間は違うぞ」と言いたい気分だ。
自分は今後も「おばんざい」や「はんなり」などの言葉を使うことはないだろう。
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ではまた。
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