生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第13章

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13.「神との対話」という本との出会い

 

記事 第13章  ~目次~

13.「神との対話」という本との出会い

・私が立ち直るキッカケにになったもうひとつの本
・「神との対話」という本との出会い
・私なりの解釈と要約
・心に響いたこと

 

加藤諦三先生の本と出会い、生きづらさの原因が幼少期にあるのではないか、ということで11章と12章では幼少期から社会人になるまでを振り返ってきました。ここからはまた40代半ば、加藤諦三先生の本と出会ったあとに戻ります。

 

・私が立ち直るキッカケになったもうひとつの本

加藤諦三先生の本で、心のしくみや生きづらさの原因を知りました。あまりにも核心を突いていたので衝撃的でした。そのお陰で、ようやく生きづらさを解消する兆しが見え始めてきたのです。

ただ行き詰まってきた過去や、常に片隅に不安や憂鬱を抱える「自分」という厄介な人間の「ありのまま」を受け入れるにはまだまだ悶々としていました。

そんな時に、またひとつの本と出会って光が差し込んできたのです。

 

スピリチュアル系の本です。

元々スピリチュアルなことに興味がありました。
目に見えない、科学では証明されていない世界。

心霊現象、死後の世界、前世、宇宙、宗教、占星術…。
何のために生まれてきたのか、運命とは何かという哲学的なことまで。
神秘的なことなら何でも。

 

小学生の時には心霊体験もしていることから、霊というものの存在を信じているのです。
大人になって感受性が鈍くなったのか、今でこそ心霊体験は全くありませんが、直感は鋭いように思っています。
何か感じるのです。
HSP ならではかもしれません。

ただ、スピリチュアルに興味がある割には、うさん臭いことは毛嫌いしていました。

例えば、怪しげな新興宗教の電磁波がどうとか、宇宙人がどうとかいうのもそうです。
占いも雑誌に載っている「今週の占い」みたいなものは信じません。

 

 

・「神との対話」という本との出会い

ある日、書店に行きました。
何か面白そうな本はないかなと物色していました。

新書なんかのところをうろうろ。
その時に、ふと目に止まったのが「神との対話」。

 

スピリチュアルに関心はあります。
でもいかにも怪しげな題名です。うさん臭い。

なのに「引き寄せ」と言うのでしょうか。
何気なく手に取ってみたのです。

字が細かくページ数もあって、「うわっ」って圧倒されたのが第一印象です。
それでも目次を見てみました。
当時の私には「必然」だったのかもしれません。

 

・人生は自分が何者であるかを思い出すため、創りなおすためにある
・自分の信念をもち、自分の価値観に従いなさい
・あなたが幸福かどうか知っているのは、あなただけだ
・宇宙には「良い」状況も「悪い」状況もない すべてはあるがままにすぎない どちらの方向に変わるかはあなたしだいだ
・ほんとうにしたいことをしなさい! ほかのことをしてはいけない  等々


 

目に飛び込んできた目次の言葉にハッとしました。
何もかも行き詰っていた私、まだまだ毎日不安や重い気分に覆われていた私。
そんな私には、ビビビッと心に響いたのです。

 

仕事・家庭・人間関係等、あらゆる面で悩み苦しんでいた著者が、「なぜ自分の人生はうまくいかないのか」と言う問いを綴った時、答えてくる声がありました、という始まりです。
著者の問いに頭に浮かぶ答え。自動筆記のような形で書き留めていきます。

 

当時の私の心境にも似ていることから、食い入るように読み始めました。

 

この本のシリーズは3部作です。第1部は個人的疑問に答え、第2部では主に地球的レベルの疑問に答え、第3部では主に宇宙的レベルの疑問に答えています。第3部の最後は総まとめのような内容です。

最初の何ページか立ち読みして、すぐに3部作すべてを買ってしまいました。
何かワクワクするものを感じていた気がします。

 

 

宗教本ではありません。
もちろん、信者を募るような話もありません。
ましてやお布施を取られることもありません。
何かの教えを押し付けてくるものでもありません。

 

この世のなぞや生命のしくみを教えてくれる内容です。
そして何のために生まれてきたのか、死んだらどうなるのか、なぜ苦しいことが起こるのか等々。

誰もが一度は考えたことがあるであろう素朴な疑問ばかり。
もちろん、信じるかどうかは個人の自由です。

ただ、その説明は会話形式で分かりやすく、一人の人間が思いつく発想ではありません。

その一つひとつの答えが私の心にはストンと入ってきたのです。

 

夢中で読みました。何回もくり返し読みました。
お先真っ暗な当時の私に、光が差し込むかのような気持ちになっていったのを覚えています。
モヤモヤがスッキリしていったのです。

 

・私なりの解釈と要約

一番の印象は、「すべてはひとつ」だという話。
この世で別々の物体だと感じているすべてのものが「ひとつ」である。
私はあなたであり、あなたは私であり、神は私であり、あなたも神である。

人々が「神」と思っているもの、それは「存在のすべて」。
「存在のすべて」それ以外には何もない。
つまり「無」でもある。
「存在のすべて」は魂であり、愛であり、純粋なエネルギーである。
時間も空間もなく、あるのは「今ここ」だけ。
私たちが、過去・現在・未来と思っているものも、「今ここ」ですぺて起こっている。
前世の私も来世の私もすべて「今ここ」にある。

 

はじめはこんがらがったものの、「すべてはひとつ」に納得。
「私はあなたであり、あなたは私であり、神は私であり、あなたも神である」。

その根幹の話が中心にあって、その他の多義にわたった質問にも答えていく。

その「存在のすべて」はすべてを知っているが、それは概念だけ。
比較するものがないから。

例えば、「すばらしい」とは、概念を知っていても、どんな感覚なのか体験しないと分からない。
だから体験したがったのだ。

 

そこで「存在のすべて」は、物質的宇宙を創造した。
「これであるもの」「あれであるもの」に自らを分割。
相対性の世界の誕生である。

背が高いとは、低い人がいてはじめて分かる。
明るいとは、暗さを知ってはじめて分かる。
「これ」「あれ」「それ以外」と別れたことで視点ができ、そこに時間と空間も生じた。

純粋な愛である「存在のすべて」は、見えないものにも相対性を持たせた。
それが「愛」に対しての「不安」。
「存在のすべて」は「愛」である。
その対極にある「不安」を創造したのだ。

人間の行動の動機のすべては、「愛」か「不安」のどちらかから派生した感情だ。
その「愛」と「不安」から、人間は天国と地獄や、神と悪魔というものも創造した。

こうして生まれた物質的宇宙。

 

人生の意味について至る所で語られている。

人生とは、発見ではなく、創造のプロセス。
人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会。
人生とは、「自分を体験すること」「栄光を体験すること」。

こうも言っている。
「人生の意味とは、どこかに行き着くことではない。自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気づくことである。あなたがたはいまもこれからもつねに、純粋な創造の過程にある。人生の意味とは創造である。自分を創造し、それを経験することである」。

 

私たちにも分かりやすいように、人生をパソコンのゲームにも例えている。
ゲームの中では、どう動こうがあらゆるパターンや結果はすでに組み込まれている。
この世のしくみも同じことだと。

どんな人生を送ろうと最終的な結果、究極の結果は決まっている。
「存在のすべて」に帰る。「愛」に帰る。「神」に帰る。

でも、人々は死を恐れる。
それは究極の結果を信じられない「不安」からくるのだという。

しかし、「死は祝福だ」「死は終わりではなく、始まり。神の裁きなどない。人間の言う地獄などない」。

神は誰かをひいきしたり、誰かを罰したりはしない。
良いも悪いも判断したりしない。
観察してるだけ。

人生は何回でもある。
「生命に死などない。永遠なのだ」。

 

人生は自由だ。
何をしてもいい。
逆に嫌なことはしてはいけない。

 

そして、引き寄せの法則についても答えている。
「宇宙は巨大なコピー機だ」。
「〇〇したい」と願えば「〇〇したい」状態を経験し続ける。
叶えたいなら、「~したい」ではなく、本当に「〇〇できた」と思い、感謝することだ。
「感謝が最高の祈りなのだ」。

ただし、心の奥底で支える思考が「~ムリかも」と否定していると叶わない。
文字通りそのまま映すコピー機なのだ。

「幸せになるために〇〇が足りない、幸せになるために〇〇しないといけない」では幸せにはなれない。まず「幸せでいること」が始まり。それではじめて幸せなものがどんどん引き寄せられてくる。考え方が逆だと言う。

 

「あなたが世界で見るものすべて、あなたの考えの結果だ」。

 

 

人間は身体、精神、霊魂の三位一体でできている。
それぞれが同じ思いとは限らない。

「感情は魂の言語」。
「真実の自分を知りたかったら自分の感情に耳をすます」。
「自分の最高の考えに耳を傾ける。自分の経験に耳を傾ける」。

 

第3部の終わりにはまとめとしてこう記されている。

「わたしたちはすべて一体である」と決めたら、お互いに対する姿勢が変わるだろう。

「充分である」と決めたら、すべてをみんなと分け合うだろう。

「しなければならないことは、何もない」と決めたら、「行為」によって問題を解決するのではなく、「問題」が消えてしまうような存在になるだろう。

しなければならないことは、何もない。ただありのままのわたしでいればいい。

しなければならないことは、何もない。幸福になりたいか。では、幸福でいなさい。賢明になりたいか。では、賢明でいなさい。愛が欲しいか。では、愛になりなさい。

「そこへ行き着く」道は「そこにいる」ことだ。

 

 

・心に響いたこと

この手の話が好きなのもあります。
だからすんなり入ってきたのかもしれません。

そういえば、アインシュタインの相対性理論や量子力学などでも、そんなことが証明され始めています。
タブーだった死後の世界などについても、研究が進んでいるそうです。

また、仏教の「般若心経」にもよく似た意味合いの言葉が出てくるので、興味深く感じます。

 

興味深いだけではなく、人生について考えるきっかけになりました。

生命のしくみなどの話の合間に、他にも当時の自分にとってすごく響いた言葉がありました。

他人にどう思われるか心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。外からの承認を求める必要がなくなったときはじめて、あなたはあなた自身のものになる。

ひとに与えれば、自分に与えることになる。わたしたちは、「ただひとつ」なのだから。

相手に自由を与えれば、自分も自由になる。

ひとが人間関係で犯す最大の過ちは、相手が何を望んでいるか、何者なのか、何をしているか、何をもっているかを心配することだ。

悲しみを表すことができれば、悲しみは処理できる。

思考をコントロールするには、視点を変えればいい。

いちばん暗いときが、いちばんすばらしい贈り物になるかもしれない。

これまでしてきたことは、これからすることにくらべれば重要ではない。
これまで犯してきた過ちは、これから創造するものにくらべれば何の意味もない。
未来にこそ真実がある。

 

これでもほんの一部です。

 


何かを「せよ」と言う話はありません。
何をしても自由だといいます。
むしろ、ほんとうにしたいことだけしなさいというのです。

すべてがひとつのエネルギー。
自分はひとりぼっちじゃないんだ。
好きなように生きていいんだ。
死は怖いことじゃないんだ。
人生は何度でもあるんだ。
悩んできたけれど、自分の運命は自分が創造してきた結果だったのか。
「宇宙は巨大なコピー機」思えば叶う。
これから自分の人生を創造し直せばいいんだ。

行き詰っていた自分の前方に、一つの道筋ができたような、道しるべを与えられたような、そんな気持ちになりました。

 

加藤諦三先生の本で心のしくみを知り、この本で生命や宇宙のしくみを知りました。

生きていることそのものへの価値観が、変わった気がします。
その後の人生観の変化に、大きなきっかけになったのは確かです。

 

これが、40代後半から50代に向けて、新しい自分の創造につながっていきます。

 

 

 

次章:14章に続く

 

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■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)

 

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