【時代と場所】環境で人の意識は変わるもの

 

置かれた時代、場所、人間関係などの環境によって人間の意識は変化すると思う。

 

今時はスマホが手放せなくなった。
15年も前には、考えられなかったことだ。
30年前なら、ケータイ電話自体が普及してなかった。
外からかけるなら公衆電話だった。

車も、毎日普通に当たり前のように乗っている。
昭和の初めの人たちには、想像もできなかっただろう。

 

第二次世界大戦では、特攻隊なんて悲劇もあった。
でも、当時はお国のために死ぬのが大義だったのだろう。

今では考えられない。

 

さらに時代を遡って戦国時代なら、武士はいさぎよく切腹、なんて野蛮な死に方をしたと言う。

時代の移り変わりで生活も意識もどんどん変わっていく。

 

昭和や平成初期ではおおらかにまかり通ったことが、今では○○ハラスメントなんて言われたりする。
コンプラ意識やSDG'sなどの取組みの高まりもあって、正された側面と、がんじがらめで不寛容になった側面があるように思う。

ある意味生きづらい世の中とも言える。

 

「時代」で変わってきた意識もあれば、置かれた「場所」で変わることもある。

外国なんて国によって、同じ人間なのに発想や価値観が全く違ったりする。
例えば、日本では「手間ひまかけて」と言うと情熱や愛情を込めた表現だ。
でも、アメリカあたりでは逆。
多人種なのともあってか、「少しでも簡単に」が大事らしい。

 

 

大きな会社や団体に所属している場合も、意識は自然とその風土に染まっていく。

学校の先生ならそんな雰囲気を醸し出すようになるし、営業マンならまたそれらしくなりやすい。

 

「会社ぐるみで不正」、なんてニュースが世間を賑わすことがある。
その大きな組織にいると悪いとも感じなくなっていたり、悪いと分かっていても言い出せなかったりする。

そうせざるを得ない空気が蔓延するのだ。

 

違う業種の人と交流すると、ハッとさせられることがある。
自分も染まっていたんだと気付いた瞬間だ。

 

意識は、時代や場所などの環境で変わると言うことを考えると、今自分が第二次世界大戦中の時代にタイムスリップしたとしたらどうだろうか。

もちろん、初めはカルチャーショックを受けるだろう。
でも、長く住めばその感覚に染まっていくのだろうか。

 

興味本位でそんなことを考えていると、自分の意識を点検してみるのも大切かなと感じる。

「時代」はタイムマシンでもないと変えようがないけれど、「場所」は変えようがある。

その土地から、その組織から一歩踏み出してみるのもありだと思う。

自分の立ち位置を変えてみるのもいいかもしれない。

 

そうすれば自ずと意識は変化するだろう。

 

 

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