生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第12章-3

  1. 前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第12章-2

 

記事 第12章-3  ~目次~

12.中学生から大学生時代

12-3

・当たり前のように浪人生に
・1日10時間の勉強
・人生について考え込んだ時期
・晴れて大学生に、そして成人
・諦めきれない志望校
・「遊びにあきることが目標」

 

 

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12.中学生から大学生時代

12-3

・当たり前のように浪人生に

小学校高学年頃から芽生え始めた「さり気なく目立ちたい、一目置かれていたい」感覚。

中学では、周りのやんちゃな連中にもまれて、思うように自分が出せず、そんな感覚は抑え込まれた日々でした。

そして高校生。思春期真っ只中。

解放感からか、好奇心の赴くままの日々に。
なのに、漠然とした心の憂いは、常にどこかに抱えた状態でした。

華やかさと不安定さが入り混じった時代です。

 

遊びほうけてるくせに、大学には行くものだと漠然と感じていました。

矛盾と言うのか、甘いと言うのか。

さらに大学と言っても、どこでもいい訳ではありません。
もちろんいい大学。名の通った大学。

何か目指す学問がある訳ではなく、将来を考えてと言うのはあるけれど、他人より上でいたい、一目置かれたいと言う方がより近いのです。

虚栄心からか、すごい人でいないといけないと思っている。
それとも劣等感からか、ありのままの自分ではいけないと思っている。

いずれにしても、自己肯定感が低かったのかもしれません。
自信がないのです。自分を演出する物や立場が必要なのです。
いわば、心の鎧です。

 

親と口も聞かないくせに、片隅ではいい大学に入って親にもすごいと思われたい。
散々、母に賢い人たちと比較されてきたからか、強く感じていました。
見返したい気持ちでしょうか。それとも洗脳されていたのでしょうか。

 

でも現実にやってることは甘っちょろい。

どうやって卒業できたのか思い出せないくらい、勉強した記憶がないのです。

ただ、内面は繊細で臆病。
試験前になると、ものすごく焦って付け焼刃の試験勉強はしたような気はします。

試験前、勉強した気分になるため、直前は深夜まで机に向かいます。
でも、勉強する習慣がそもそもないため、すぐ気が散ります。

朝方近くなると、何か気持ちは開き直って「まあ、何とかなるか」の境地に。

学校へ着くと連れに「勉強した?」と聞いて回る。
「ほとんどしてない」とみんな答える。
それを聞いて安心するのです。

でもいるんです、何もしてないと言ってたのにいい点採るやつが。
自分はまともに悪い点数です。

3年生になると確か卒業が危ういと感じた時期があったように思います。
でも、卒業はできました。不思議です。

だから、余計にどこか舐めてる。

 

大学に行こうとする人間の姿ではありません。
ちゃんと勉強する人たちは、高2あたりから予備校や塾に行き始めていたようです。
私は遊びほうけることに必死で、全く塾なんて眼中にありませんでした。

 

勉強もしないくせに、「共通一次試験」も私大の試験も、いくつも受験しました。
当然試験問題を見てもチンプンカンプン。

今思えば、1校受験するのにも、何万円かかかったはずです。
親は出してくれました。私は何の感謝もせずに、当たり前のように受験していました。

 

卒業後、浪人して予備校に行くのは、当たり前に思っていたのです。
焦っていたけど後回し。「卒業してから勉強したらええわ」みたいな軽い感覚だったように思います。

予備校の費用も、当たり前に出してもらえるものと思っていました。
勉強もせず、親にも反発してきたくせにです。

 

・1日10時間の勉強

予備校に行くのでも変なプライドがあって、有名校を受けました。
しかし、予備校まで落ちました。

当然受かると思っていたので、さすがにショック。
そして、中堅予備校には何とか合格。
と言うか、落ちないとこ?

 

予備校生活が始まりました。
高校の連れも、みんなそろって浪人。

しかも、同じ予備校に入学してきました。
高校の延長みたいです。
だからか、遊び癖は簡単には直せません。

 

しばらくは予備校に着くと、タイムカードを押して、そのまま連れたちと喫茶店、そしてパチンココース。
当時、パチンコにはまっていました。

いけないと思いながらも、甘さは簡単には直りませんでした。

 

新聞の集金のバイトも、続けてやらせてもらっていました。遊ぶ金欲しさ。
月末近くの何日かだけだから。

配達所の大将は親のような年齢です。
私と同じ年令の娘さんがいました。
だから尚更、親のような感覚がありました。

 

ある時、そこの奥さんに軽口でぼやきました。
「何にもせんでも、ええ大学受からんかなあ」。

冗談で言ったのに、その奥さんは急に表情が険しくなり、激しい口調で怒鳴りました。
「何を甘いこと言ってるの? うちの子も甘いけど、あんたの甘さはもっと甘い。ひど過ぎる。どうしようもない。いい加減にしなさい」。
びっくりしました。ぐうの音も出ません。
かなりショックでした。

 

当時、実の親とはまだ反発もあって、距離をとっていました。
そんな時に、他人から本気で叱られたのはショックでした。

かなり凹みました。
実の親なら反発していたかもしれません。
でも、この時は凹んだのと同時に、温かみも感じていました。
実の子のように言ってくれたと、心に響いたからかもしれません。

 

当たり前のように浪人までして、それでも勉強もせずにいる自分。
情けなくなったのを覚えています。

ただ、反省しても習慣はなかなか変わらず。
気持ちだけは、極度に焦っていました。

そこでまた形から入る。
勉強した気になろうと、参考書を買ってきました。
でも、拒絶反応で開く気になれません。

新品の参考書を見ると益々焦る。
しまいには、参考書を机にこすりつけたり、折り目をつけたりして「やった気分」を疑似体験。
そんなバカなこともしていました。

 

転機は5月はじめ。

イギリスの故ダイアナ妃が京都に来られたのです。
ミーハーの私は、予備校をサボって見に行きました。
目の前にダイアナ妃。
その美しさ、気品。
一瞬固まりました。

人間、何で変わるか分かりません。
ダイアナ妃と私の勉強に、何のつながりもありません。
でもなぜか「やらねば」と強く感じたのです。
それまでは、焦りはしても心の片隅では、1年も家や予備校にこもってつぶれるのは、人生もったいないと感じていたところもあります。

 

受験まであと9カ月ほどしかない。
このままでは人生がムチャクチャになる。
初めて心の奥底から思えました。

 

まずは1日のスケジュールを考えました。
ごはん、睡眠、風呂…。

1日10時間は勉強しよう。
10時間机に向かおうと考えました。

また形から。

もちろん気が散ることも多々ありましたが、机に向かうことを心がけました。

何日か続けると少し習慣になりました。
机に向かっていないと焦るような感覚になってきました。

 

高校時代にまともに勉強してこなかったつけは大きく、習慣づくりと基礎からの勉強の日々。

 

 

・人生について考え込んだ時期

たまに息抜きに連れたちと飲みにでることもあるものの、孤独感を楽しめる境地になっていきました。
「がんばってる自分」に酔いしれているだけかもしれませんが。
それまでの人生で一番がんばった日々には違いありません。

 

こんなにがんばれるとこもあるのかと新鮮でもありました。

それまでは、何となく感じたままに生きてきたのに。

 

新しい発見です。

 

一人で部屋にこもっていると、人生や将来についてもずい分考えるようになりました。
HSP気質もあって深く考えてしまいます。

妄想もよくしていました。
頭の中で空想にふけるのです。

 

当時自己啓発の雑誌や単行本が流行っていたように思います。
私も、勉強の合間にむさぼるように読みふけっていたように記憶しています。

 

自分はどういう人間なのか。
どういう人間になっていくべきか。
人生とは何か。

なぜ生まれてきたのか。死んだらどうなるのか。どう生きるべきか…。

 

スピリチュアルなことから哲学的なことや処世術まで、初めて自分と向き合った時期だったのかもしれません。
自分なりの考えと突き合わせて、「あるべき自分像」をこの頃に創り上げていったのだと思います。

アイデンティティの確立。

その「あるべき」が、その後の社会人人生で、自分を苦しめていくことになろうとは思いもしていませんでした。

 

・晴れて大学生に、そして成人

勉強を始めて数ヶ月もすると、模試などで偏差値が上がっていきました。

ただし、達成感を感じながらも志望校のレベルには程遠く。

たった7∼8カ月ほどの勉強ではやはり厳しいのか。
でもそれにしては、偏差値は伸びました。
志望校レベルにはもう少しに。

 

葛藤、不安、期待…、いろいろな感情も味わいました。

年齢のせいか親とも話すようになっていきました。

反抗期には、「親は偉そうに言うなら、自分は完璧なのか」などと反発心がありました。

それがやがて、親も人間なんだと自然と感じるようになっていきました。
反抗期から抜ける頃だったのでしょうか。

 

そんな心の変化も経験しながら、あっという間に受験本番。

また、何校も受験させてもらいました。
今度は感謝の気持ちも感じながら。

 

志望校数校のいくつもの学部を受けましが、見事に次々と落ちました。
惨敗。自業自得です。

でも、その凹み方は半端なし。

自然と涙がこぼれてきます。
親も声もかけられなかったのではないでしょうか。
遠目に見守るしかない状態。

「悔しい、悲しい、辛い」。
今回はほんとにがんばったから、そんな感情が湧いてきたのです。
親もそれは分かってくれていたと思います。

 

2浪かと頭をよぎっていた頃、父に言われました。

「2浪はアカンぞ」。

そりゃそうですよね。
費用の高い予備校に通わせて、ただ飯に、ただ住まい。

それも理解できるようにはなっていました。

 

最後のチャンスが1校の1学部になりました。
すでに受験は済んでいます。
合格発表を待つだけ。

自分でもごぶごぶの感覚でした。

そこは、志望校ではないけど、すべり止めとまではとても言えない、少しランクが下のレベル。
私には難度がそこそこ高いレベル。

一目置かれたいなどと思っている私が、満足できる大学でもない。

プライドもあって、すべり止めと言えるような大学は受けもしませんでした。

 

合格発表を見に行きました。
ドキッとしました。何と「自分の番号がある」。
唯一そこが合格していました。

涙が止まりませんでした。

 

放心状態だったのか、合格発表の帰りの電車にバッグを置き忘れてきました。

財布に免許に合格通知に…。
慌てて最寄りの駅に連絡したら届いてました。

財布の中身だけ抜き取られて。
合格通知はかわいそうだと思ったのでしょうか。

 

何とか晴れて大学生になりました。

父に言われました。
「お金は残さんけど、大学出したるのがおまえの財産になるからや」。
今でも記憶に残っています。

確かにその通りです。お金より知識や経験。

 

 

・諦めきれない志望校

受験勉強の習慣がついていたので、今度は机に向かわないと何か罪悪感がありました。

中高時代に芽生えたさりげなく目立っていたい、他人より上でいたい、そんな気持ちはそのままです。
いわゆる虚栄心。

見栄はりなのです。

 

そして、まだまだ学歴社会の時代。
いい大学でてないと就職も限られる。
そんなことも頭から離れません。

合格して散々うれし涙も流しましたが、志望校に落ちた悔しさや後悔の方が勝っていました。

 

「編入」という制度を知り、「これだ」と思いました。
何日も思い詰めました。
ただ、せっかく受かった華やかな大学生活の誘惑も頭をよぎります。

キャンパスライフってやつです。

悩んで苦しくなっていました。

 

大学内にカウンセリングルームがあることを知り、相談に行きました。

いろいろ思いを話しました。
その大学では納得できてないこと。
志望校にやはり行きたいこと。
その反面、気楽に大学生活を楽しみたいこと…等々。

カウンセラーは一言「一度思う存分遊んでみたら? その後で考えても遅くないんじゃないかな」。

 

うーん確かに。
何か少し気持ちが軽くなったのを覚えています。
そこからしばらく勉強を忘れて遊びました。

元々は遊びほうけていたからすぐに気持ちは戻りました。

 

あこがれた志望校ではないことに、劣等感は引きずっていました。
でも、単純なものです。

気がつけば、編入なんて気にもならなくなっていました。

 

・「遊びにあきることが目標」

そこからは、大学にもまともに行かずに、バイトと遊びに明け暮れていきました。
毎日のように深夜まで遊びまわっていました。

 

大学時代の目標は「遊びにあきること」と定めました。
恋も酒も遊びも、おじさんになってデビューするとよく手が付けられないなんて聞いていたから。

学問ではなく、遊びたおすことが目標。

何とも都合のいい目標。
ある意味、自分に自信を持ちたかったのかもしれません。

 

そして20才、成人となりました。
形だけは大人。

「やっと大人かあ」。
大人のような遊び方をしていても、人間はまだまだひよっこ。

 

ちょうど時代はバブル景気真っただ中。

土地も株も高騰し、日本中が浮かれていました。

たった数百メートルの距離をタクシーに乗り、万札を渡して「釣りはええわ」と運転手にあげてしまうような人もいた時代。

銀行は、学生にだって簡単にカードローンを作るよう勧めてくる。

私もいくつも作っては、まるで自分のお金のような感覚に麻痺してしまいました。

 

そのせいで、毎晩のように連れと飲み歩き、一人でも祇園のラウンジなんかに行くように。

お陰で何百万円もの借金を背負ってしまいました。
自転車操業です。

20才から借金生活。

 

そんなこともあって、当時「THE生保」とまで言われた業界に進む方向につながっていきます。

給料がむちゃくちゃいいと聞いたからです。
借金を返さないとと焦っていたのです。

人生はそんなことで流れていくのでしょうか。

 

あっという間に4年間は過ぎていきました。
バイトと遊びに明け暮れた日々。
はたして、「遊びにあきること」はできたのか。

大学にも試験や単位取得などの関門はありましたが、高校時代と何ら成長せず、友人にノートをコピーさせてもらったりのにわか勉強でやり過ごしました。

卒業は危うい状況でした。
そのくせ卒論も付け焼刃。
いくつかの本から抜き出してはつないだだけ。
自分でも何を書いてるのかさえ分からない状態です。

それでも日本の大学は入ったあとは楽なもんです。
卒業させてくれました。

 

そして2章につながっていきます。

遊びばかりに侵された脳みそをひっさげて、いよいよ社会人に。
やがて荒波にもまれていくことになっていきます。

 

次章からは、「生きづらいと感じてきた私」がどのようにして乗り越えてきたのか。
そしてどのようにして50代での心境の変化につながっていったのかを書いていきます。

 

 

次章:13章に続く

 

社会人編は下記から

生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第2章

 

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■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)

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