生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第12章-2
前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第12章-1
記事 第12章-2 ~目次~
12.中学生から大学生時代
12-2
・高校入学
・新しい流行
・新しい仲間
・好奇心のままに
・高校時代の心情
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12.中学生から大学生時代
12-2
・高校入学
無事高校に入学。
公立高校。珍しく私服通学。
真面目な雰囲気の普通の高校です。普通科。
散々中学では、ヤンキーだら
ようやく普通の学校という印象です。
中学では、やんちゃな連中のノリについていけないところもありまし
何か違う。水が合わない。居心地が悪い。
合わせることに神経をすり減らしてきました。
HSPの私には、生きづらい世界でした。
やっと普通の人たち。
内心、ホッとしているところもあります。
自分のいるべき世界はこっちだ。
心のどこかではそう感じている。
でも、物足りなくも感じている。
そんなところでなめられてはいけない、とも感じている。
なめられたくない。
さり気なく目立っていたい。
一目置かれるポジ
無意識の領域での感覚です。
恥ずかしがりで繊細な反面、自己顕示欲もある。
その両極の性分は葛藤を生み、生きづらさの要因のひとつとなりました。
それは、小学校高学年あたりから芽生え始めた自意識が始まりです。
そこへ中学の野球部時代にできた、奇妙なプライドが自己顕示欲に拍車をかけてい
中学時代、すごい世界で耐え抜いた、すごい仲間の中にいたと。
当時はまだケンカの強いとされる男が目立つ。
モテる。かっこいい。
そうい
少なくとも、私はそう感じていました。
だから自分も、そんな連中の中にいたというだけで、すごい人間のよう
真面目そうなやつや、中途半端にイキがっているやつらを見ると、自分
自分も中途半端なのに。
表面的なプライド。
何の根拠もない優越感。
決して自分がすごかった訳ではない。
漠然とした感覚です。
いや、「優越していると思いたい」の方が合っているかもしれません。
ただ、本当に強い、怖いと噂される人間には逆に一目置いて見てし
肩書に弱い。見た目に弱い。
表面的にしか見ていないからでしょうか。
でも、上から見てしまう相手でも、決して偉そうにしたり、ケンカをふっかけ
本音は揉め事が嫌い。穏便が好き。
実はビビり、度胸も据わってなんかない。
無意識の領域では、何とも自分が頼りないと分かっているのでしょう。
だからこそ、葛藤が生まれるのです。
目立ちたい気持ちとは裏腹に、本当は心細い。
逆に言えば、根っこは自信がないからこそ、形だけの恰好と、表面的なプライドの鎧で固めていたのだと思います。
表面的なプライドで固めることで、自己顕示欲とのバランスをとっていたのかもしれません。
そんな感覚の中で、高校生時代の幕が開けました。
・新しい流行
中学時代の後半からは、ヤンキー独特の格好は消えていきました。
時代
日本では、DCブランドブームに火が付きました。
コムデギャルソン、メンズビギ、イッセイミヤケ等々。
ブランド毎にデザインに特徴があり、ヤンキーのそれとはまったく
流行の波はすごくて、バーゲンなんかには行列ができたものです。
高いけれど、物がいい。
当時はユニクロなどなく、安いものは「安かろう悪かろう」がほとんどでした。
ファッションは多様化。
アイビー、テクノ、パンク、サーファー等
エンタメの世界では、デュランデュランやカルチャークラブ等、外国のビジュアル系バンドが急激に流行り出しました。
確か、そういうのをニューウェーブと呼んでいたと思います。
MTVというアメリカの音楽番組が、火付け役とも言われています。
シンセサイザーを駆使したロックやポップが、主流になっていきまし
歌手はレコードやTV出演だけでなく、曲ごとにミュージックビデ
そのファッションや髪型も影響力は絶大でした。
男も化粧する時代
日本の芸能人のファッションや音楽も、その影響を大きく受けていた
世界的な潮流でした。
ヤンキーも流行りを追いかけます。
ヤンキーもDCブランドを着るようになりました。
ヤンキーから衣替えした人を、ヤ
しかし、どうしてもヤンキーの雰囲気や気性は抜
私も流行に走っていました。
ヤンキーに憧れていたはずなのに、デュランデュランのような派手な雰囲気に憧れ始めました。
ファッションに目覚めたのです。
パッチキと呼ばれる剃りこみではなく、パーマをあててデュランデ
眉毛もヤンキーの細く短くではなく、一生懸命かもめ型の眉毛に剃ってみたり。
どうあがいても、西洋の人の目鼻立ちにはなれないのに、眉毛や髪型だけでも真似ていました。
なけなしのお金で、DCブランドのバーゲンにも並んだものです。
周りの人間もこぞって、DCブランドの服を着ている。
自分もブランドの服を着ている。
それがステータスを表すように感
ブランドを着ていることで、自分はすごいんだと思っているふしがある。
自信のなさの表れです。
節操なく憧れの対象が変わる。
単純なものです。
要は目立ちたかったのでしょう。
女の子にかっこ
「モテたい」は、思春期の男子を動かす原動力です。
物で「形だけの自信」を得ていたのかもしれません。
・新しい仲間
当時、京都市の公立高校は、中学校や地域で受験できる高校が分け
なので生徒は同じ中学校から一部、そして他のいくつかの中学校か
入学当初は、同じ中学校出身者か、または同じクラスになったやつらとつるんでいました。
初めは様子見ってところです。
人見知りするくせに、積極的に話していってた気はします。
HSPでもHSS型と分類されるタイプなのかもしれません。
「繊細なくせに行動力があるタイプ」。
友人になるのはどんなタイプなのか。
見た目もやることも、真面目なタイプは合わない。
かと言って、不良丸出しのやつも合わない。
ちょっと不良。いや、
やんちゃもするけれど、根は真面目。
そんなやつが合う。
見た目もやることも、チャラチャラした遊び人タイプは合わない。
かと言って、遊びを知らないやつも合わない。
遊びは知っているけれど、根は真面目。
そんなやつが合う。
要はフィーリング。
1年生の後半になると、別のクラスのやつも交じって遊ぶことが増え
初めは、お互い気を使いながら話している。
あまりイキがってないやつの方が、気が楽でした。
イキがったタイプだと、対抗意識がメラメラ湧いてくるからです。
そもそもムチャクチャやんちゃだったようなやつは、高校には行かずに
行っても、公立高校の普通科には滅多に来ません。
普通の公立高校に来るようなイキがったタイプは、当時の私から言わ
自分も同じ。
でも自分のことは棚に上げて軽く見
そんなやつとひょんなことから話す機会があると、初めは心の中で主導権争いです。
マウントを取ろうと必死です。
勝手に心理戦をしていました。
けっこうエネルギーを消耗しました
気を使ってニコニコ話しながらも、対抗意識でいっぱいです。
それが、ちょっとした話題から価値観やノリが似ていると分かると、一
類は友を呼ぶ。
正にその通り。
何かをキッカケに、気を許せるようになっていきます。
気がつくと、私を含む主に5人でいつもつるむようになっていきました。
高校の「連れ(友人)」ができました。
・好奇心のままに
私が中学生になった頃はチビでした。
当時、生徒が並ぶときは背の順
一番小さな人が一番前。
私は真ん中より前。
それが中学時代にちょろちょろと身長が伸び、高校に入って一気に
まるで竹の子の勢いでした。
平均的な身長までに。
そんなに長身で
少し大きくなっただけで大人になった気分。
それは自信を持つと言うより、安心したような感覚だったような気
それにつれて、大人への憧れや好奇心はどんどん開花していきます
高校に入って、ほぼすぐにバイトを始めます。
HSPでも意外と思ったことはすぐ行動に移すタイプ。
HSS型。
当時はバイト募集記事を集めた冊子を、売っていました。
買って食い入るよ
高校1年生では、なかなかありません。
そこで18才未満の高校生OKの新聞配達
夕刊です。
接客とかは難しそうに感じたのです。
新聞配達なら簡単でもないけ
初日は、ドキドキしながら配達所に行ったのを覚えています。
所長はやさしいおじさんで助かりました。
私の配達は真面目で丁寧。
お客さんからも、お褒めの連絡が配達所に
根は真面目。
それを大将にも認められて、集金の仕事もさせてもらう
初めて働いて稼いだお金。
自分で稼いでみたかったのです。
自分の自由になるお金が欲しかっ
月給がいくらだったかは覚えていません。
何万円だったか。
少額でも自分で稼いだお金。
少し大人になったような、自立できた
1年生の時に、原付免許も親にも言わず取得しました。
当時私の高校はバイク禁止。
でも乗りたい衝動は抑えられず、勝手にローンを組んで原付バイクを買いました。
中学時代の連れたちと走り回りました。
ノーヘルOKの時代
バイクをいじって、かっこよくするのが楽しみでした。
もちろん、暴走族ではありません。
そこまではする気も、勇気もありません。
ただ、よくスピードを出したり、2人乗りして調子に乗っていました。
それがかっこいいと思っていたのです。
今思えば幼稚な感覚ですが。
平日は高校の連れたちとつるんでることが多いけれど、休日なんかは中学時代からの連れとも引き続き遊んでいました。
そっちの連れとはバイク以外に、家に泊まり込んで徹夜の麻雀やパ
賭け事も弱いくせに、覚えたては楽しくて仕方がありません。
はまっていました。
更にその中学の連れたちが、バンドを始めました。
知らないうちにギター、ベース、ドラムなど「俺がやる」「俺がや
そして彼らは、その楽器を本当に買っていました。
キーボードくらいしか空きがない。
でも私にキーボードなんか買う
私は見るだけになりました。
よくスタジオを借りた練習について行ったものです。
その仲間内では当時パンクが流行っていて、その系統のバンドです。
私は正直パンクは好きではない。
当時はビートルズやオフコースなんかが
静かめの曲。
それでもパンクが好きかのように振る舞ってしまう。
迎合してしまいます。
普段、普通に言い合いもする仲です。
でも、仲間内の醸し出す雰囲気には飲み込まれていたのです。
それで内心はヘトヘトです。
スタジオに行っても、早く帰り
中学の連れの中では、当時自分を押し出せずにいました。
いつの間にかいじられキャラでした。
勢いよくしゃべる親友とその雰囲気に、気持ちが押されてしまっていたのだと思います。
バイク、タバコでは何度か停学になりました。
初めて停学になった
親に対してです。
落胆させるのではないか、むちゃくちゃ怒られる
反面、親の目を気にしないといけないことが、鬱陶しくも感じていま
いろいろな気持ちが入り混じっていたのです。
逆に連れたちに対しては、少し勲章のような気持ちもありました。
ビビるくせに懲りずに繰り返す。
やんちゃな自分に酔っているのか
若いエネルギーは中々抑えられません。
高校の仲間とは、平日ほとんどつるんでいました。
当時は、そっちの方が居心地がよかったように思います。
自分が先頭にいる気分があったからかもしれません。
授業もしょっちゅうサボって、喫茶店に行くようになりました。
当時は、今思えばまだまだゆるい時代だったのでしょう。
喫茶店ではプカプカ普通にタバコを吸っていました。
私服通学もあって、帰り道にはみんなで繁華街に行き、そのまま居酒
見れば、高校生丸出しだと思います。
でも、普通にお酒を出してくれるゆるい時代でした。
まだまだ酒との付き合いも浅く、よく酔いつぶれたものです。
深夜ラジオのオールナイトニッポンやオレたちひょうきん族が流行
音楽はレコードからCDへ。
それでも録音はまだまだカセットテープ。
昭和50年代も終わりに近い頃です。
恋もしました。
2~3人の仲間と夜な夜な集まっては、順番に好きな子に電話BOXの公衆電話から
片思いの子。
しかもほとんど話したこともない他のクラスの子。
今のようにスマホみたいな便利なものはないのです。
まだテレホンカードも出始めで普及していません。
だから、10円玉をいっぱいポケットに用意してきます。
市内3分10円だったと思います。
ドキドキです。受話器を上げて、ダイヤルを回し始めては、ためらい切りを何度かしてしまう。
「乙女か!?」と自分で突っ込むほど時間がかかったものです。
恋にはうぶなまま。
自信はないのに行動にはでる。
同じような状況の連れがいたから尚のこと動けたのでしょう。
当時の電話は、まだダイヤル式の固定電話の家が
プッシュホンが普及し始めた頃です。
相手の家に電話すると、本人がでること
家族がでる。
それが父親だと急激に心臓バクバク。
「何の用事?」なんて聞かれたりします。
そんな時は、しどろもどろでした。
パニックです。
共学で私服。
かわいいと思う女の子は何人もいました。
気は多い。
でも半面、実は一途なところもある。
複雑な心情。
繊細で相手の一言をすごく喜んだり、逆に落ち込んだり。
一喜一憂です。
スピリチュアルなことに関心があった私は、「西洋占星術」や「四柱推命」なんかも本を買ってきて、真剣に研究したことさえあります。
何かの権威で、心を落ち着かせたかったからでしょうか。
努力は報われず、フラれたり、片思いの時もありました。
好きな子が他の男と付き合い始めたのを見て、ひどく凹んだこともあります。
逆に、何人か高校時代に付き合うこともできました。
付き合ったら付き合ったで、自信がないからか不安でいっぱいでした。
フラれるんじゃないか、本当に好きでいてくれてるのか…。
また、彼女と食事をするにも、食べ物を口に入れるところを見られるのが、妙に恥ずかしく感じたのを覚えています。
ニキビもよくできては悩みました。
とてつもなく恥ずかしく思っていたのです。
ニキビが多いとモテないとさえ感じていました。
つぶすと余計にひろがる。悩みはつきません。
思春期あるあるです。
自分に自信はない。
でも、表面的なプライドがある。
だから格好をつけることに必死です。
形だけ自信があるように見せようとしていたのです。
逆に女の子のことも、ちゃんと人としてと言うより、「かわいい」とか「目立ってる」とか、表面的なところばかり見ていたように思います。
だから、ちょっとした仕草が変だったりすると冷めたりもするのです。
当時は恋が毎日の一大事でした。
今思い返せば、懐かしい甘酸っぱい思い出です。
繊細で奥手な私の春だったのでしょうか。
・高校時代の心情
法律上は、当時20才から成人。高校生は未成年。
子供でもなく、大人でもなく。
体や見た目だけ大人びてくる。
でも、まだまだ経験も少なく、精神的には未熟で不安定な思春期。
その分、好奇心で溢れています。
若さからエネルギーが充満してい
ただ、自分が何者かなどまだまだ分かっていない年頃です。
つまり、アイデンティティが確立されていないということ。
周囲はまだまだ未知の世界。
長い長い未来もベールに包まれています。
だから、多くの高校生は漠然とした不安も抱えているのではないで
私もご多分に漏れず、漠然とした不安や憂鬱な気持ちが常に付きま
HSPがゆえの「考え過ぎ」が、より不安を助長していました。
生まれながらのHSP気質。
幼少期からの様々な経験が、「誰にでもいい顔をしてしまう」他人軸な素地を形づくってきまし
高校生になって、好奇心で満ち溢れ、自己顕示欲が強くなったこと
生きづらさとは、「何か辛い」「自分の居場所がない」「居心地が
自分じゃない「すごい人」、「好かれる人」。
他人を演じ続けている
トンボなのにカエルになることを要求されているような強迫観念に
他人の目を気にする。他人の感情に敏感。
だから、私は集団で行動することがすごく苦手でした。
コンテストにでも出演して、品定めされているような緊張感がどこ
そんな感じで、多くのエネルギーを一度に感じ取ってしまうのです
でも学校時代は集団で動かざるを得ないことも多く、それも苦痛で
目立ちたいけど、恥ずかしい。
強いと思いたいけど、心細い。
自己顕示欲があるのに、繊細さがそれを抑え込む。
目立ちたいのに、自信のなさがそれを抑え込む。
アクセルを踏み込んでいるのに急ブレーキをかけ続けているような
そして、高校時代になってより激しくなった反抗期。
親に依存しているくせに、親の目が疎ましいのです。
自立したい。親や世の中への反発心でいっぱいでした。
親とはほとんど話しませんでした。
かと言って、内心、親への恐れや尊敬の念も片隅にはあったように
ただ、自分でもどうにもコントロールできませんでした。
神経症的な母はずい分心配している様子。
その醸し出す空気が重苦
そんな自分が嫌でした。
自己肯定感は低空飛行。
ものすごい自分で
他人の言葉に傷つきやすく、引きずることもしばしばあったと思い
そんな弱い自分を許せなくて妄想に走るのです。
自分の理想となった場面を繰り返し想像してしまいます。
逆に最悪の場面を何度も想定して妄想することもありました。
急にショックを受けて傷つかないよう少しでも慣れさせておこうと
ひとりになると、もの思いにふけることもしばしばでした。
自分を演じながら、心の中は揺れ続けていました。
そんな葛藤を引きずっていました。
幼い頃から「生きづらさ」を引きずりながらも、意識し始めたのは
好奇心や自己顕示欲から、気持ちが外に向けば向くほど、他人の目
高校時代は、楽しくも生きづらさが少しずつ顕著になっていった時代
そんな高校生活はあっという間に過ぎていきました。
次章:12章-3に続く
■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)
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