生保 新入社員時代『飛込み営業実践』の経験談 2(職域・法人開拓編)

 

前編:生保 新入社員時代『飛込み営業実践』の経験談 1(地区開拓編)

 

~目次~

・はじめに
・職域・法人開拓について
・職域・法人開拓の段取り
・職域・法人開拓の流れ
・いざ実践
・激しい職域
・サボった日々
・できの悪い営業マン
・飛込み営業実践を終えて




・はじめに

半年間の地区開拓実践が終わりました。
必死でした。チャラチャラした学生生活から、いきなり飛込み営業実践。
バイトと違って、ずっと働くつもりで入社しています。
気負っていました。

HSP気質の私には、毎日新しい人たちにアプローチしては断わられてのくり返しは、相当辛く感じました。

私は必死で何かに取り組むと、その後燃え尽き症候群になりやすいのです。
いわゆる五月病ってやつでしょうか。
何もかも拒絶反応。心は無気力状態。

そんな状態で、次は職域・法人開拓実践だと言うのです。
何やら企業への飛込みだと漠然とイメージしていました。
職域? 法人? それぞれの意味や違いからしてよく分かりません。
今度は1年以上。地区開拓より長丁場です。
また一からの飛込み。
たった1年ほどでも気が遠くなりました。

 

・職域・法人開拓について

飛込む営業という意味では、地区開拓も職域・法人開拓も同じです。
ただ、職域開拓はいきなり個人が相手ではなく、職場を通しての個人保険販売です。
職場での営業活動の許可を取り付けることから始まります。

許可がもらえれば、定期的にその企業の職場の昼休みや夕刻の時間外に、許可された場所で従業員方に営業するのです。
その活動場所は普通のオフィス内もあれば、工場などもあります。
オフィス内に入れる場合もあれば、通路や食堂前等で、立ったまま通る人たちに声掛けをする場合もあります。
職域での活動は、一度に多くの人に会えること、保険加入の決定権を持っている人が多いことがメリットです。

法人開拓は、中小法人が対象。
法人の種類もたくさんありますが、基本的には「株式会社」「有限会社」と呼ばれる法人が対象です。
社長との接点を作り、法人契約の保険販売を目指します。
契約者が法人で社長や役員方が被保険者だと、大きな契約も見込めるという訳です。
だから本社機能がある、つまり社長がいる事務所でないと意味がありません。
支店や営業所では、社長に会えるまで行きつかないからです。

法人開拓は活動許可を取り付けるというよりは、定期的な情報お届け等の承認を得る感じです。
なので、昼の休憩時間に限らず訪問できたりします。

ただ、法人開拓とはいえ、従業員がいたりします。
職域開拓を兼ねながら、法人契約を同時に目指すこともあります。

・職域・法人開拓の段取り

■地域を決められる

企業が多い地域を区画して振り分けられます。
私たちは東京と大阪で採用が別れています。
私は大阪での採用。
なので、担当した地域は大阪の中心部でした。

法人契約や団体保険のある企業のリストも個人契約のリストも、実践研修のため今回ももらえません。
白紙のままでの飛込みです。

■住宅地図を区画毎に作成

地区開拓と同じです。
担当する地域の住宅地図をコピーし、切り貼りして〇丁目や区画で分けて整理します。
ただ、一般住宅地と違い、企業名がすべて記載されている訳ではありません。
テナントビル等もあるからです。
また、企業の規模も地図上の敷地面積だけでは判断しにくく、実際に行ってみないと分からないというのが正直なところです。

■区画毎に訪問の順番を決める

どこから回るかは個人ごとの判断です。
私は、担当地域の端っこの区画から行くことにしました。

■活動に必要なものを準備

◯名刺

地区開拓の時以上に重要になります。

◯活動許可証

活動の許可をもらった証に、その企業の担当者に印鑑をもらう用紙です。

◯アンケート用紙

個人向けと企業向けがありました。

◯情報冊子やビラ

話のキッカケづくりに使用します。

◯サービス品

ティッシュ等。

 

初めの頃は、主にはこんなところだったと思います。
職域活動を始める時には「自己紹介ビラ」等も持ちます。
保険のビラ等を持つのは、何回も通い出してからでした。

 

・職域・法人開拓の流れ

1.アプローチ

区画毎に「株式会社」「有限会社」等の法人の看板が出てれば片っ端から飛込みます。
入る前にある程度「職域開拓の活動許可」が目的か、「法人開拓として社長への面談」が目的か考えます。
小さな企業であれば「法人開拓」。
「〇〇支店」やある程度従業員がいそうなら「職域開拓」という感じです。
そのための話法も、ロープレなどもしながら学んでいます。

企業に入り、受付として対応してくれた人に挨拶と目的を告げ、社長または総務系の担当者への面談をお願いします。

面談できた場合は、名刺交換し、目的を告げて、職域開拓であれば活動許可証取得、法人開拓であれば情報冊子の手渡しとアンケートのお願い、というのが上手くいった場合の流れです。

職域開拓は活動許可取得数、実際に会える人数等の目標があったと思います。
具体的な数は忘れてしまいましたが。
法人開拓は交換できた名刺の数、定期的な訪問許可の数、企業向けアンケート回収数等の目標が設定されていたと思います。

2.次訪以降

職域

許可された時間と場所へ昼休みに訪問。
従業員に自己紹介ビラを渡しながら、アンケートのお願いをし、情報収集します。
一度に大勢の人たちが対象になるのが、地区開拓との違いです。
一人ひとりへの営業の流れ自体は同じです。

法人

初訪時のお礼もしながら、企業に役立ちそうなビラや冊子を手渡し、受付の人や社長とのなじみ関係を作っていきます。

更にゴルフコンペや、著名人の講演会のイベント等にも社長をお誘いしたりしながら、関係構築していきます。

機会を窺いながら、ある程度信頼関係ができてくれば、保険提案に結びつけていきます。

・いざ実践

気持ちは燃え尽き症候群の状態でも、会社はそんなことを配慮はしてくれません。
容赦なく日々の目標が定められ、同期との競争をさせられます。
否応なしに動かざるを得ず。

 

担当地域に行きました。
小さな企業や立派な自社ビルを構えている企業、小さな町工場のような企業等、様々な企業がごった返していました。
地区開拓の時ののどかさとは打って変わって、HSP気質の私にはザワザワ落ち着きません。

住宅地では散々飛込んできたものの、企業と言うだけで構えてしまいます。
こんな若造を企業の社長が相手にしてくれるのか。
雑談なんかできるのか。不安でした。

いざ、飛込み開始。
入った途端に、社長も目の前にいるような小さな企業もあれば、受付カウンターがあって中が見えないような企業等、ほんといろいろでした。
社長不在、いてもあっさり断られる。
受付で断られる。断りが続きました。
大阪弁で社長にどやされたこともあります。
何度も何度も気持ちが萎えました。

 

それでもがんばって回っていると、話をしてくれる社長もでてきました。
いきなり来たこんな若造を、応接室で応対してくれる社長もいました。
会社名の影響もあるかもしれませんが。
私は緊張して上手く話せてなかったように覚えています。
社長というだけで、すごい話題を出さないといけないようなイメージでビビッていました。
ただ、相手は百戦錬磨のビジネスマン。
年令も私よりはほとんどの人がずい分上。
見た目や態度で新人と分かるのでしょうか。
時間がないと言っていた社長が、何十分も、時には1時間以上も自慢話や苦労話をすることもありました。
自分が何か役立つ情報提供や、ビジネスマンとして対等な話をしないといけないような気負いは消えました。

どうせ新米。かけ出しの社会人ホヤホヤ。
いろいろ教えてもらう気持ちで行くようになりました。

数打ちゃ当たる。少しずつ企業のアンケートや、名刺ももらうことができ、継続して訪問できそうな企業もできていきました。
継続訪問できそうな企業の社長には、お礼のハガキも書いたりしていました。

 

何度か通っているうちに、毎回長々話す”おやっさん”って感じの社長が会社の保険の話に乗ってくれました。
ただ「保険入ってもわしは通らへんで」と言われます。
おそらく健康状態のことでしょう。
でも、私は会社で法人契約の成績を求められ、気持ちが追い詰められていました。
とにかく申込みにつなげたかったのです。
やってみないと分からないって感じで押しました。
また、地区開拓の時と同じく、ニーズありきよりは「お願い」みたいな感じです。
人の情に頼ってばかり。
その社長は申込みに応じてくれました。
初の法人契約。
初めて会社の印カンを押印。緊張しました。

嬉しかったですが、本当に健康状態がよくなかったようです。
血圧の上が200。よって不成立。
深く考えず目の前の「申込み」だけに気が行って、あとさき考えていませんでした。
ショック。
お礼とお詫びで訪問しました。
「だから言うたやろ」と言われました。
ムリを承知で付き合ってくれたのでしょう。
感謝しかありません。
知識も話法も経験も未熟。
人の情に訴える営業。これでいいのか悩んでいました。

その後法人開拓では、提案の機会もチラホラ生まれ、団体保険も含めていくつか契約に至りました。
難しい話の段階では何度か上司の同行に頼りました。当時は税金のことなど、難しいことはまだまだちんぷんかんぷんだったからです。

法人契約は、個人契約のようにはなかなか販売できません。
時間も労力もかかります。
個人も法人も同じ「保険」でも、契約者と受取人が法人となることで入る意味合いが違ってきます。
苦労しましたが勉強になりました。

職域開拓も初めは苦戦しました。
それでも飛込みを続けていると、チラホラ活動許可をもらえるところが出てきました。

初めての活動許可取得は、5~6人の30代の人たちがいる企業でした。
「法人開拓」のつもりで訪問したら、営業所だったのです。
社長はもちろんいません。
でも、みんな親切に応対してくれました。
それだけでもう「ここは通おう」と思いました。

職域の活動許可がもらえたのは、初めそんな5人前後の企業や、20人いるかどうかくらいの企業が数社でした。

 

活動の許可をくれた企業に通い始めました。
その企業によってカラーがずい分違います。
20人ほどのある企業は、一生懸命声掛けしてもほとんどの人が無視。
これは堪えました。
数カ月行っても変わらず。
勇気を振り絞って行っても、無視が怖くなっていて、ほとんど私も無言でビラを置いて、すぐ出てしまうこともありました。
結局、そういう企業への訪問は続きませんでした。
無視されることの辛さが骨身にしみました。

逆に数カ月通って、話してくれる人が出始める企業もありました。
こっちもいつまた流されるか、ヒヤヒヤしながら話したものです。

 

初めに活動許可をもらった5~6人の職域。
そこは初めからみんな保険の話も聞いてくれるのです。
その企業へ行くのは気持ちが楽でした。

1人の人に提案した時です。
理論的な雰囲気を醸し出している人でした。
私は提案はするものの、恥ずかしながらまだまだ知識武装できていませんでした。
その人がプランを見ながら、いくつも指摘しました。
ダメ出しです。言われてみると確かに。
またぐうの音も出ません。
諦めかけたその時、「ええわ。これで入ったげるわ」。
驚きました。
鋭い指摘をしながらも受け入れてもらえた。
そんないい人もいるもんです。感激しました。

・激しい職域

職域は漠然と大勢の人がいる方がいいと思っていました。
職域開拓が始まって1カ月くらいでしょうか。
ある販売メーカーの支店に思い切って飛び込みました。
大きな自社ビル。
前から気にはなりながら避けてた所。
入ってみると、ワンフロアに仕切りも壁もなく、2~300人の従業員が座っているのが見える大きなオフィスでした。
圧倒されながら、こんな大きなところはムリかなと感じました。

受付の人が担当の人につないでくれました。
総務部の担当の男性が出てきました。
職場内活動のお願いをすると、いともあっさり「いいですよ」と。
驚きました。
昼休みに通路とかではなく、オフィス内で活動してもいいと言うのです。
まだ個人情報保護法などもなく、おおらかな時代でした。

大きな職域ができた。
ものすごく成功体験できた感覚でした。
ただし、HSPの私にはあまりにも激しい激戦区だと後々分かっていきます。

その規模の職域は、他の同期も開けてきていません。
上司にも誉められ、少し鼻を膨らませていました。

 

その大きな職域での活動が始まりました。
すごい緊張感でした。
HSPの私にとって、大勢の人がいる場所はほんとは超苦手。
とは言え、やるしかない。
大量の自己紹介ビラやアンケート用紙等を、別の紙バッグに入れて臨みました。
入口で緊張MAX。
入ってすぐに、元気よく「〇〇生命です。失礼します」と大きな声で挨拶しました。

従業員の人たちの机の島がいくつもあります。
初めは各机に、自己紹介ビラと確かアメちゃんをくっつけて置いていきました。
自席にいる人には、軽く挨拶しながらです。
若い女性陣は、大勢でお弁当を食べていたりしました。
机で伏せて寝ている人、囲碁将棋をしている人、仕事を続けている人、自席で黙々と弁当を食べている人、いろいろです。

始めこそ机に自己紹介ビラを置くだけでしたが、また無視され続けたらどうしようかと不安でした。
それに数百人に顔と名前を覚えてもらうのは、並大抵のことではありません。
また、実際になじんでいったり、情報収集したり、相手の顔と名前を覚えるのも並大抵ではありません。

よく職域開拓は、「止まり木となる人を作れ」と言われました。
話をしてくれる人を何人かでも作ることで、動きやすくなると言うことです。
そう考えて、日々ビラを置きながら、声掛けをくり返しました。

活動していると、他にも生保の営業職員らしき人たちが、たくさん来ていることに気付きました。
自分としては想定外。
活動許可をくれた人に聞くと、5~6社から12人ほどが来ていると言うことでした。
ビックリです。
来るもの拒まず。フリーだったのです。
どうりで、簡単に許可をくれるはずです。
私の会社からも2人来ているようでした。

ほどなくして、私の自己紹介ビラを見た自社の営業職員が、職域内で突っかかってきました。
「何、邪魔しに来てるん?」大声で言われました。
私はとっさに通路に引っ張り出して「お客さんの前で言うことやないでしょ?」と諭しました。
私も正式に許可を得て活動しているのです。
文句を言われる筋合いはありません。
でも相手は興奮気味でした。

ものすごいストレスでした。
そのままそんな職域は止めればいいのに、バカ正直さと意地で、一度行き始めた大きな職域を手放せませんでした。
人数が多いというだけで、私のメイン職域と思っていたからです。
通うようになってからも、その職域の入口に来るとかなりの緊張です。
深呼吸せずには入れません。
昼休みの1時間、ずっと人前で自分を作って気を張り詰めなければならないからです。
ましてや、ライバルだらけ。
私はそういう競争で燃えるタイプではなく、避けたいタイプです。
活動が終わってその職域を出た時には、いつも気持ちはぐったりでした。

何とか日々冷や汗をかきながらも通い続けました。
一生懸命話しかけますが、多くの人は保険屋慣れしています。

ただ、それなりに話してくれる人もできていきました。
「止まり木」イコール「見込客」と単純に期待してしまいます。
まだまだ見極める目がありません。
でも、気軽に話しかけてくれる人はすでに私の会社に契約があるとか、断り慣れている人たちが大半でした。

雑談で立ち話している人たちにも、勇気を出して話しかけました。
すると、雑談に入れてもらえたのです。
そんな時に限って、自社の営業職員が割って入ってきました。
「◯◯さ~ん、◯◯VS△△の試合行きます~?」とか言いながら、プロ野球の試合のチケットをちらつかせています。
すぐにその人たちはそっちの話に食いついてしまい、私はいきなり蚊帳の外。
浮いてしまってどうしていいのか分からず。
明らかに嫌がらせです。
私にはそんな金銭のかかったサービス品はありません。
会社から支給されたアメやティッシュくらいです。
ましてや、そんなになれなれしく話しかけることもできません。
私の負け。

ある時、うちの契約者の人と話が弾み、保障を見直してくれることになりました。
二日後に申込みの約束。
当日、ドキドキしながら行くと「え、さっき手続きしたよ。同じ◯◯生命やろ?」と。

血の気が引きました。
私の作ったプランで、自社の営業職員が横取りしたのです。
お客さんに「同じ会社なので一緒です」と言いくるめた様子。

会社に戻って上司に訴えました。
許せないと。
普通の営業現場なら上司同士が話して取り返すか、最悪でも成績の折半です。
でも上司に言われました。
「彼女たちはそれで飯を食ってる。
おまえは研修の一環や。今回は辛抱しろ」と。
腹の虫は収まりません。
内心は納得できてませんでした。

ただ、彼女たちがいろいろ工夫しているのを見て、勉強になったこともあります。

例えば、不在の人の机にビラを置く時は、他の書類の上に置かない。
勝手に自分の書頼の上に置かれるのが嫌な人もいるし、書類に埋もれて見てもらえないこともあるからです。

何か個別の案内ツールを置く場合は、わざわざ丸めてリボンでくくって、それを机ではなくイスに置く営業職員もいました。
立体にしてイスに置けば否応なしに見るからです。

週間の情報誌なんかを配るのも、闇雲にばらまきません。
自分に契約をしてくれたお客さんだけに渡します。
冊子にマジックでお客さんの名前を書いて、これ見よがしに渡すのです。
「あの人で保険に入ると優遇されるんだ」という一種の差別化です。

「なるほど」ちょっとしたことでも、印象は変わるもんだなと勉強になったものです。

 

負けてはいられません。
その職域では、大勢で固まってお弁当を食べている女性のグループがありました。
集まって雑談に花が咲いているところには、恥ずかしすぎて入り込めません。
他の営業職員もそこはあまり近寄っていませんでした。

いろいろ考えた挙げ句、「写真カレンダーを作りますよ」という案内をしてみました。でもあまり反応はなし。
「写真カレンダー」とは、カレンダーにしたい自分や家族などの写真を持ってきてもらい、業者に発注。
完成品は、年間のカレンダーに、その写真が印刷されて、それをラミネート加工したものです。

若さゆえの発想でしょうか。
短絡的な次の作戦。
当時流行っていたインスタントカメラ「写ルンです」で、「みなさんを写して、写真カレンダーを作りますので撮らせて下さい」と持ちかけました。
かなり不思議そうにされましたが、変に強引でした。
いくつか写真を撮らせてもらい、「写真カレンダー」をムリヤリ作りました。
押し売り状態です。

ムリヤリ職場で撮った「写真カレンダー」はあまり評判がよくなかったのですが、少し笑ってくれる人が出始めました。
それはそれでよしとするしかありません。
最後までその女性グループからは、契約には結びつきませんでしたが、そんなバカみたいな努力が実ったのか、その職域からチラホラ契約をもらうことができるようになりました。

 

・サボった日々

私には激しい日々でした。
燃え尽き症候群のままスタートしています。
地区開拓の時より長丁場。
ストレスで夜な夜な飲酒量も増えました。
帰るのが遅く、そこからの飲酒。
翌日はしっかり酒が残って寝不足状態です。
朝礼時間も半分うとうとしています。

開始から数ヶ月もすると、日々のストレスと実践への慣れからダレ始めました。
中だるみ。
手抜きを覚え始めたのです。
成績も少しはできていたので変な安心感もありました。

同期全員の担当地域が大阪中心部。お互い近いのです。
更に活動は自転車を使うようになっていました。

「行ってきます」と早々に外出。
行きつけのカレー屋に直行。
そこへ同期が続々と集合します。
先輩から代々受け継がれている場所でした。
その後は各自バラバラに別れますが、真面目に活動に行く者、喫茶店に行く者、寮に帰る者、いろいろです。

私は近くの会館の休憩室に、また直行。
そこは、休憩室とは言いつつも、ほとんど人が通らないのです。
しかもふかふかのイスがズラッと並んでいるのです。
いい所を見つけてしまいました。
そこには何人かの同期が集まります。
同期も多くがダレてしまっていました。
それが変な安心感を助長していたのです。

私はとにかく眠くてしかたがありません。
並んだイスに横たわり、何時間も寝てしまうこともしばしばありました。
当然、昼の職域は行かなくなっていました。
拒絶反応です。
少し間が空くと、余計に行きにくくなりました。
自分自身にも言い訳をしていました。
気持ちが逃げていたのです。
夕方近くなり、いくつか企業に行く日もあれば、拒絶反応がひどいと、どこにも行かず夜に会社に戻りました。
いかにも働いてきたような表情で。
内心は罪悪感とバレはしないかと、ヒヤヒヤしています。
日報もかなりいい加減に書いていました。

朝、「行ってきます」と告げると、上司に「どこへ行くんや?」とかまされることもありました。
年輩の上司には時に、ニヤニヤしながら「おまえは働いてないだろ?」と、お見通しのように言われることもありました。
私は目が泳いでいたかもしれません。

そんな日々が何ヵ月か続きました。
当然成績も低迷しています。
内心かなり焦るけれど、拒絶反応の方が勝っていました。

夕方に久々にある職域に行きました。
勇気がいりました。
すると、いつも話してくれていた男性が「久しぶりやな。来んから他で入ったで」と言われました。
ショックでした。でも自業自得。
やはり定期的にきちんと訪問しないといけないと教訓になりました。
ただ、私で保険に入ろうと考えてくれてたのは嬉しかったです。

 

・できの悪い営業マン

サボり癖がついていたので自業自得。
販売強化月間でも何の下準備もなく突入。
地区開拓の時は、必死で動いていたので最終月に跳ねました。
今回はそうはいきません。
夜遅くまで自転車でうろうろしました。
見込客がもう底をついています。

〆切も間近。
自分はほとんどできていない。
同じくサボっていた同期よりも悪い。
このまま何もなしでは帰れない。
でも、当たる先が思い浮かばない。
相当気持ちが追い込まれていました。

そんな時に、担当地域内でちょくちょく休憩していた喫茶店に寄りました。
マスターは顔を覚えてくれてるようで、会釈してくれるようにはなっていました。

その時の私の頭の中は真っ白で、血の気も引いていました。
呆然としていたと思います。
奥から気にするように、マスターがたまにチラッと様子を窺っていました。

思い詰めると、人間て怖いものです。
まだちゃんと話したこともないそのマスターに、お願いしてみようと思いついたのです。

 

様子を見ながら、恐る恐る話しかけました。
「あの~、◯◯生命の◯◯と申します。」。
マスターが不思議そうに、近寄ってきてくれました。
そして〆切が近く、追い込まれている窮状を話したと思います。
〆切が迫っています。単刀直入にお願いしました。
「保険に入ってもらえませんか」。
しばし沈黙になりました。
余計なことを言わなければよかった。
沈黙の中で、頭の中は後悔の念がグルグル巡っていました。

しばらくして、マスターが話し始めました。
「こんな最悪な営業マンは初めて見た。情けない。入ってやるから持ってこい。大きいのは入れんぞ。それから入ってやるから二度と来るな」。
強烈なショックを受けました。
忘れられない言葉です。情けない。悲しい。
すごく後悔しました。
ただ心の片隅では、マスターの人情を感じて、嬉しさも入り交じっています。
そして手ぶらで帰らなくて済む。
救われた安堵感もありました。複雑な心理。

縁とは不思議なもので、そこからマスターとはその保険を通じて、長年お付き合いが続きました。
「二度と来るな」は、私を思って叱ってくれたのだと思います。

 

・飛込み営業実践を終えて

飛込み営業実践が終わった時には、社会人になって早2年近くが過ぎていました。
がむしゃらでした。
飛込み営業はもちろん初めての経験です。
一からお客さんと信頼関係を築いていく。
しかも物を買ってもらう。

いろいろな人と出会いました。
いろいろな感情の変化も経験しました。
性格的に、1対1で話せる地区と違い、大勢いる職域や法人は、より気が張って苦手意識も感じていました。

私は営業のテクニックや話法、保険の知識も未熟なまま飛込み営業を何とか乗り切れました。
営業は「相手の役に立つことを提供すること」が前提です。

でも、知識も経験も不足で保険のことではきちんとした対応があまりできてなかったように思います。だけど、私は何とか乗り切れました。
なぜか。
人情です。何度もお客さんの情に助けられたからです。
人の温かい情に接してきて、学ぶことは本当にたくさんありました。

飛込み営業、初めは全くの初対面です。
アポもありません。いきなり現れるのです。
普通は迷惑な話です。
なので、もちろん断りが大半です。
それでも初訪を突破し、何とか2回3回と顔を合わせてくれた人とは、回数を重ねる毎に顔なじみになっていきました。

私は成績に追われ、お客さんの善意に甘えることがしばしばでした。
ただ知識がなくてもお客さんのことをもっと「知ろう」、自分を「分かってもらおう」と一生懸命に考えていました。
それが少しは伝わったのでしょうか。ありがたいことです。
商品を売る前に、まずは自分を売れ、とよく言われました。それは実感します。

上手くいった時の気持ち、お客さんに断られたときの気持ち、成績に追い込まれた時の気持ち、サボっているときの気持ち、お客さんに助けられた時の気持ち、その時々の思いや感情はその後、営業現場で拠点長になって行く上で、心のバックボーンになったと思います。
これらの経験があったお陰で、営業の技術だけでなく、人間的にも成長できたと感謝しています。

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  1. GDIZ より:

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    1. hikoojisan より:

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