生保 新入社員時代『飛込み営業実践』の経験談 1(地区開拓編)

~目次~

・はじめに
・生保の飛込み営業実践

◾地区開拓の段取り
◾地区開拓の流れ

・いざ実践
・契約第1号とエピソード
・地区開拓を終えて

 




・はじめに

私が入社したのは平成はじめ頃。
バブル景気が崩壊する頃です。
生保業界が「THE生保」とまで呼ばれた時代。

ひょんなことから生保業界に足を踏み入れました。
営業管理職を目指すコース。
入社後4年間は研修期間で全寮制です。
結婚以外は出られません。
集団生活で、学生上がりの甘い気持ちを叩き直すためでしょうか。

その4年間はカリキュラムが組まれています。
実践研修です。
その4年間をこなしてから、本格的に営業現場に巣立っていきます。

初めの2年間は飛込み営業実践です。
3~4年目は本社や支社の他の部署勤務を経験したり、営業現場で新人を教える育成担当リーダーのような経験をします。

 

その初めの飛込み営業とは、紹介営業の人脈をたどる営業とは違い、アポなしで全く新しい個人宅や企業に訪問する営業手法です。

現在、企業は今までのようにテレビ・新聞・雑誌・ラジオ・電話・郵便はもちろん、インターネットやSNSを使って広告や顧客へのアプローチを積極的にしています。
ただ、それでも拾えない層もあります。
だから非効率と言われていますが、今でも飛込み営業はあります。
そんな拾えない層も開拓できる可能性があること、直接対面できることで関係構築しやすいメリットがあるからです。

そんな飛込み営業実践。
営業職員は採用されると、担当した地区の契約者を中心に回ったり、担当企業もある一定程度付与されますが、飛込み営業もやっている人がそれなりにいます。

営業管理職を目指していく上で、日頃営業職員の人たちがどんな苦労をしているのか、肌で感じろということでしょうか。
自分の力だけでお客様づくりしてみろ、一からの販売手法を学べという訳です。
もちろん知名度のある会社の「看板」を掲げてではありますが。

 

入社からもう30年以上が過ぎました。
時代はすっかり変わました。

関連記事:【平成~令和】生保営業の現場が乗り越えてきた荒波

入社当時は、ほとんどの家にパソコンなんてまだありません。
もちろん、ケイタイ電話もありません。
だからSNSなど想像もできませんでした。
まだまだおおらかな時代。
パワハラ当たり前。上の人間が平気でやっていました。
営業の世界はどこか根性論。
恐ろしい叱咤激励がまかり通っている。
「お客様」と言いつつ、会社は殿様商売。
どこか上から目線なところも、ひしひし感じていました。
末端の営業の人間はペコペコしているのに。

 

今はずい分時代が変わりました。
世の中の考え方も、景気も商売の仕方も変わっていると思います。
ネットで誰にも会わずに欲しいものを買うような時代。

ただ、商売の基本は今でも人対人だと感じます。
売るのも人。買うのも人。
ネットはただの媒介する道具に過ぎません。
そういう意味では、飛込み営業には商売のいろはが詰まっているのではないでしょうか。

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実践研修だから、何のリストも持たせてもらえません。
アポなしの飛込みのみでお客様と接点を作っていく。
苦しかったけれど多くのことを学びました。
現代でも、人と人の接点を作っていく基本として、役立つことはあると思います。

そこで今回は、私が入社時の飛込み営業の経験談を書いてみます。

 

・生保の飛込み営業実践

飛込む先のジャンルによって、2年間を2期間に分けられていました。
1つは地区開拓。約半年間。
地区と呼ばれる一般住宅地を区切った地域での個人向け保険販売を目指します。
もう1つは職域開拓と法人開拓。約1年半。
職域と呼ばれる企業の職場内での個人保険販売を目指します。
法人では個人保険だけではなく、企業向け保険販売を目指します。

■地区開拓の段取り

1.地区を決められる

住宅地を中心に、担当する地域を〇〇町〇丁目から△△町△丁目と区切られます。
確か1人に400世帯程度の割り振りだったと思います。
実践研修のため、契約者のリストは付与されません。
なので、どこにうちの契約者がいるのか全く分かりません。

2.住宅地図を区画毎に作成

担当する地区の住宅地図をコピーし、切り貼りして〇丁目や区画毎で分けて整理します。

3.区画毎に訪問する順番を決める

私は約100世帯分ずつで、訪問する順番を決めたと思います。

4.アンケート用紙や不在時の投函ビラを準備

アンケート用紙は保険のことを聞くものから、キャンペーン等、何種類か準備。
不在票は自分の似顔絵で「残念がっている表情」のビラ。
その他サービス品(ティッシュ等)も。

 

■地区開拓の流れ

1巡目 アプローチ

自分で決めた最初の約100世帯の区画を、1軒毎隈なく訪問し、ピンポン。
挨拶とアンケート回収が目標。
アンケートは名前と生年月日が最低限必要な情報。
不在の場合は不在票を入れ、足跡を残す。

2巡目 なじみ活動

アンケートのお礼と、興味を引きそうな占い等のツールやサービス品を渡し、顔と名前を覚えてもらう。
警戒心を解いてもらい、親近感を少しでも持ってもらうのが目的。

3巡目 ニーズ換気

ライフサイクル表や保険の情報を持って行き、ニーズを引き出し、提案につなげる。

4巡目 提案

たたき台となる提案書(個別のプランニング)を提示し、加入を促す。

5巡目 クロージング

加入への決心を促し、成約に結びつける。

6巡目 成約およびアフターフォロー

加入申込み手続きや契約成立のお礼。
その後のフォロー。

 

上記は、すべて順調にいった場合の流れであり、1巡毎でこの流れになることはもちろんありません。
なじみ活動で何回も訪問したり、提案で断られて、またなじみ活動に戻ったりのくり返しです。

 

・いざ実践

営業実践の2年間は、同期生と同じ事務所に出勤です。
同期は50人近くいます。
毎朝朝礼があります。勉強もするので長い。
学生の延長のようですが、給与をもらう側。
社会人に成り立てで緊張もしています。

朝礼が終わると、5~6人程度に分けられたチームで、チーム長(上司)の指示を受けます。
その後ようやく外回りの準備をして出発です。
初めて地区に行く時は、ほんと緊張していました。

私の担当した地区は、個人宅がほとんどの住宅地。
大きなマンションも建っていました。

どうしていいのか分からない私は、単純に大きなマンションが効率いいのかと思い、そこから当たり始めました。
確か活動開始当初は、1日アンケート回収10枚以上がノルマだったと記憶しています。

十数階建の大きなマンション。
そこだけで何百世帯かはあったと思います。
最上階から行くことにしました。
何となく下から徐々に上がっていくのは、精神的にしんどく感じたからです。

初めてのピンポン。
名刺を用意し、出てこられたら何て話し始めるか、習ったことを思い出しながら、緊張でガチガチ。
バイトで新聞の集金などの個人宅回りはしたことがあります。
バイトの時はそんなに緊張もしなかったのに。
何か構えてしまってます。

最初の1軒目。留守。
残念な気持ちよりも、ホッとする方が勝っていました。

不在の場合は不在票を投函します。
自分が残念がっている表情の似顔絵を、マンガ風に描いたものです。
当時は手作りのビラもまだ許されていました。

マンションは不在だらけでした。
当時は共働きが増え始めた頃です。
不在でホッとすると言っても、さすがに不在が続くと焦りました。

そのうちやっとインターホンを押すと「はーい」と家の奥から女性の声が聞こえました。
出てきてくれそうです。名刺を持つ手が震えます。
そして出てきてくれました。
その瞬間、頭の中が真っ白で、会社名も言わず、自分の名前だけ「〇〇です」と言って名刺を突き出し、もう帰ろうかと体が半身になっていました。
何とかビラだけ渡したように記憶しています。
学んだ話法も、アンケートも、吹っ飛んでいました。

気を取り直してピンポンを続けました。
気持ちよくアンケートに応えてくれる人もいれば、インターホン越しに冷たくあしらわれることも多々ありました。
出てきてくれても、すぐ断ってドアを閉められることも。
出てきて、いきなり怒鳴られたこともあります。
他生保の営業職員宅だったこともありました。
「毎日のようにビラ投函したり、人の邪魔すんな」と怒られました。
怒られる筋合いはありません。納得できず。

冷たい対応が続くと気持ちが萎えてしまいます。
次の1軒に行くのに「エイヤッ」の弾みが必要です。
気持ちの切り替えに苦労しました。時々深呼吸。

ある先輩が「ドアを簡単に閉められんように、開いた瞬間に足をドアのすき間に1歩踏み入れるんや」などと豪語していました。
私にはそんな芸当はできませんでした。

不在がほとんど。
会えても断りがほとんど。
それでも初めは張り切ってもいます。
アンケート10枚は切れない。

毎日20枚近くまで粘って回収しました。
内心誇らしい。
同期にも負けたくないから。

アンケート回収が目的化していました。

アンケート回収が中心の頃は、不在や面談できた家も含めて、回れるのは平均1時間で10~20軒くらいでしょうか。
1日、4~5時間の活動時間として、休憩も含めると多くて70~80軒程度回れるかどうか。
飛込みは数が勝負。とはいえ、相当疲れます。
飛込み営業が効率が悪いと言われるところでしょうか。

アンケート回収のために、以前に断られた先にも思い切って再訪しました。
不在が多い中で「会える」可能性が高いからです。
多くはやはり断りか、怒られることもありました。
やはり気持ちが萎えます。
でも「前はバタバタしててね」とか「夫婦げんかしてて機嫌が悪かったんや」等、そんなことを言いながら、アンケートに答えてくれる人もいました。
諦めずに回ってみるもんです。

 

実践開始から2週目・3週目になると、今までの不在先への再訪と新たな区画に1訪目のアンケート回収を開始。
並行して、アンケート回収先に2訪目をしていきます。
生年月日から作るコンピューター占いや、興味を持ってもらえそうなビラを持って行くのです。
少しでもなじんで警戒心を解いてもらうのが目的です。
1訪目よりも話してくれる人もいれば、ビラを受取ってさっさと閉めてしまう人、2訪目で冷たく断る人、いろいろです。

こんなことをしながらアンケートも増え、2訪目も並行するのでより忙しくなっていきました。

 

毎日、帰社すると活動日報を書いて上司に提出します。
何か採点されてるようで嫌な時間でした。

それとは別に、自分用として「お客様台帳」も作っていました。
今とは違い、昔のワープロで枠を作ってあとは手書きです。
アンケート回収できた人の区画番号や名前を書き出し、訪問した日付を時系列に左から右に書いていけるように、マスをズラッと並べています。

訪問する毎に、左から右に向けて、日付をマスに書き込んでいきます。
そのうちいろいろ考えて、作成した住宅地図とお客様台帳それぞれに、開拓状況を色分けしました。
蛍光ペン5色ほどを用意し、「訪問」「アンケート回収」「提案」「断り」等、内容が変わるたびに色を重ねていきます。
状況が一目で分かるようにしたのです。

色が重なって行くのが進んでいる実感がもてて、励みにもなりました。
こんなことや、翌日の準備で会社を出るのは、いつも夜9時や10時を過ぎていました。

 

日々、目まぐるしく過ぎて行きました。
HSP気質の私は、常に新しい人に会っていくのは本当に神経がすり減りました。
ましてや同期で競争させられています。
学生時代、気楽にしていた代償もあって、辛く感じていました。
体にも背中の皮膚がみみず腫れになったりと、いくつもの症状が出ていました。
何とも柔い心。
将来、営業管理職になってもこんな生活がずっと続くのかと気が遠くなり、悲観したりしたものです。

 

まだ私は、なじみ活動をくり返していました。
なかなか保険の話を出しても、ニーズ換気が上手くできません。
売込みに来たと警戒されるのが怖いのです。
雑談も緊張していて、あまり話を弾ませることができませんでした。

そのため、常にいろいろなビラを持っていました。
ビラを訪問の大義名分にしていました。
そんなものがないと訪問できないのです。
「何しに来た?」って思われるのが怖いのです。
自分が訪問する理由を何とか創り出していました。
話題用のビラを出して話が続かなければ、別のビラを出したりしてつないでいました。

そんなぎこちない私でも、必死さが伝わったのでしょうか。
少しずつ、明るく話してくれる人も出てきました。
少しずつ情報も集まっていきました。
何度も顔を合わせることの大切さが分かってきました。
私の個人名で呼んでくれる人も出てきました。
ちょっとのことでも嬉しいものです。
どこかの保険屋から、〇〇生命の人、そこから〇〇さんと固有名詞で呼んでもらえるようにもなっていったのです。

ただ明るく話してくれるから「見込客」と思っていいのか。
見極めが全くできませんでした。期待だけは膨らんでいく。

1カ月ほど経ったでしょうか。
私がまだなじみをつける活動で四苦八苦している頃、同期の中にはチラホラ保険を販売してくるやつが出始めました。
ものすごく焦ってきたのを覚えています。
なじんではきたけれど、そこからが進まない。
どうやったら売れるのか。
悩みました。全然売れる気がしない。

・契約第1号とエピソード

自分には保険は売れないのではないか。
そんな焦りを感じながら、毎日地区をウロウロしているうちに、若い主婦層の人たちの中で噂になっていたのでしょうか。
ある日、地区にある公園の横を通りかかると、4~5人の主婦っぽい女性が井戸端会議をしています。
会ったことがない人たち。
少し距離がありましたが、その女性たちがこちらをチラッと見て指さして笑いながら私の噂話をしているように見えました。
「いつもウロウロしている若い男は何者か?」という感じでしょうか。
恥ずかしい思いもありましたが、私は気持ちが追い込まれています。
思わずその女性たちの方へ駆け寄って行きました。
女性たちは「こっちへ来た」って感じで、驚くような笑うよな雰囲気で、散りぢりに退散されそうになりました。

必死で話しかけました。
「ちょっと待って下さい。〇〇生命の者です」。
引き止めには成功。
そして私は「保険のことを知ってもらいたくて回ってます」みたいなことを言ったと思います。
木の枝を拾い、生命保険の図を砂の地面に書き、保険の基本について語りました。
「へえ~っ」って一応聞いてはくれましたが、結局はその女性たちがどこの誰かも分からないまま、帰られてしまいました。
何とも言えない徒労感と空しさ。

 

歩いて、割り当てられた広い地区内を活動していました。
心身ともに疲れ切っています。

真夏なんかはクーラーのある場所もありません。
当時はクールビズもない時代なので、ネクタイもしています。
汗でびちょびちょになります。
家に帰ってからも、ネクタイの結び目が汗でかたまってほどけないのです。
塩もふいています。

 

ある日の昼間、グラウンドのある公園の芝生の木陰で、仕事のカバンを枕に一人仮眠していました。
30~40分ほどでしょうか。
目が覚めたら、小学生2人とホームレスらしきおじさんが2人、私の横に並んで寝ていました。
こんなところだけ寄ってきてくれるなんて。
ビックリしたものです。

 

月日が進み、2カ月近く経っても一向に売れそうな気がしません。
周りの同期はどんどん売れ始めています。
焦りに焦って、年輩の上司に相談しました。
上司の答えは、「君は売ろうとしてないだけだな」と一言。
確かに。すごくストンと腑に落ちました。

何度かきつい断り方をされた時、まるで人格まで否定されたようなショックを受けていました。
「断り=自分の否定」に思えてしまうのです。
すべて真に受けて傷ついていました。

 

保険営業は、「断りから始まる」と言われます。
理屈では分かっていても、断りが怖くなっていました。
せっかくアンケートに答えてもらい、その後も話してくれる人たちにも、そこで断られたらもう二度と訪問できないようにも思ってしまうのです。
なので、当たり障りのない内容のビラを持って行って終わっていたのです。

 

提案に結びつけるにはどうすればいいのか。
悩んだ結果、初めに習ってた「ライフサイクル表」をアンケート回収先の世帯主全員に持って行こうと決めました。
いきなりの提案はやはり抵抗があったからです。

ライフサイクル表とはA3大の用紙に、夫婦と子供それぞれの現在から老後に向けての年齢シールを並べて貼り、家族の人生全体を見える化したものです。
人生を俯瞰的に見てもらって、必要な保障の話につなげようとするツールです。

余白に「子供の小中高大の入学」「マイホーム購入」「子供の結婚」等、人生でこれから起こりえるライフイベントの絵のシールを貼っていきます。

それだけでは既製品のようで味気ないので、色のマーカーペンでいろいろ夢があるように吹き出しを書き込んだり、旅行のパンフの写真を切り貼りし、手作り感を出しました。

題名も「ライフサイクル表」ではなく、「◯◯さんの将来予想図」と上に大きくカラフルに描きました。
1軒1軒に作成するのはかなり手間ひまがかかりましたが、毎晩遅くまで残ってがんばりました。
そういうものを作るのは苦ではありませんでした。

「ライフサイクル表」を持って訪問を始めました。
すでに何度か面識のある先に行くのであり、保険をガンガン勧めに行くのでもないと自分に言い聞かせます。
自分の背中を押す大義名分が必要なのです。

訪問すると「こんなものを作ってみました」と切り出しました。
ある家の奥さんに見せると「これ、あなたが作ったの?」と笑い出されました。
やっとほんとになじんできたような手応えがありました。
「将来のことを考えてみませんか」と話しながら雑談し、家を出る前に「将来のための備えについて一度見るだけでもいいので、提案の機会をもらえませんか?」と言うようにしました。
多くの人は「見るだけならいいけど、入れへんよ」と笑って言ってくれました。

ようやく下地ができてきた気がしました。
何より自分の心が安定し始めました。
その後訪問したら、私の作った「ライフサイクル表」を額縁に入れて飾ってくれていたご家庭がありました。
「すごく嬉しかったから飾ってるの」と。

 

また、ライフサイクル表ではないけれど、ある何度か訪問している先のおじさんに「あんたは毎回何しに来てるんや?」と言われ、とっさに「保険の営業です」と答えると「そしたら保険売らなアカンのと違うの?」と言われました。
そして「一回見積り持っておいで。入れるかは分からんけど」と言われたりもしました。
嬉しかったです。
何度も顔を合わせてると、人の気持ちも変化していく。
改めて実感しました。人の情を感じました。

 

そうして何とか提案まではできる先も増えていきました。
しかし、すごくなじんでいるからと期待した先に、あっさり断られたりする。
ものすごいショックを受けたりしました。
なじんでるだけで期待している方がおかしいのですが、当時はその見極めが全くできていませんでした。
提案して見てもらえても、断りも続きました。
当然です。
私はお客さんのニーズをつかめていませんでした。
ニーズの押し付けだったのです。

始めの頃は提案と言うと、自分がいいと思って作ったプランで決めないといけないような感覚でした。
その場で色好い反応がないと、まるで完全に断られたようにショックを受けたりしていました。
ほんと勝手にニーズを押し付けておいて、自爆して撃沈しているようなものでした。
今度は返事を聞きに行くのが怖くなっていったのです。

 

人はどんなにすばらしい商品でも大嫌いな人や、怪しい人からは買いません。
そのためになじみ活動が大切なのです。
その上で、やっと商売の話につながっていきます。

人が何かを買いたいと思う時とは基本的に「欲しい」と思うか「必要に迫られて」です。

私は勝手にニーズを押し付けて、人の情に期待しているだけでした。「欲しい」とか「必要性」を感じてもらえるための働きかけが弱かったのです。

今思えば、提案とは言っても、たたき台です。
個別のパンフレット代わりです。
もっと気楽に宣伝のような気持ちで見せればよかったのです。
その提案書を元に「必要性」を感じてもらえるように話をふくらませていくのです。

そこからが本番です。
お客さんの本音はどうなのか。
テストクロージングをしていきます。
仮の意思確認です。
「仮に入るとしたら何が課題か」断る理由をあぶり出して、一つひとつ消していくのです。

生命保険でよくある断りは「保険料が高い」「すでに保険に入っている」「主人(妻)が決める」「今はいらない」「保険は嫌い」「知り合い(保険営業)がいる」等々。

その気になってもらうまで手間ひまがかかります。
初めて提案して、即決で申込みなんて滅多にありません。
余程それまでのやりとりがある場合くらいでしょう。

始めはそんなことがまるで分からず、ひとりよがりな提案でしたが、数をこなしてるうちに、少しずつ分かっていったような気がします。

 

関連記事: 【生命保険加入をお考えの方へ】長年生保で営業管理職をしてきた私が本音を語ります

 

何度も訪問していたあるご家庭の奥さんに提案しました。
「またダメかな」始めから恐れていました。

その奥さんは静かなタイプで、いつも訪問すると黙って私の話を聞いてくれる人でした。
まだまだ説明も上手くはありませんが、一生懸命に話しました。

「じゃ、これにするわ」。

その一言に逆に「えっ」って驚きました。
ダメかもと悲観しながらの提案だったからなおさらです。
頭の中が真っ白になりました。
即決だったので驚きです。
ダメだろうと思って、傷ついた時の予防線を張っていました。
たまたまニーズがあったのか、私の必死さを買ってくれたのか。
私の第1号契約です。
そのことも率直に伝えてお礼を言いました。
奥さんも嬉しそうにしてくれました。

やっと売れた。初めて売れた。
もちろん生命保険は、身体も健康でちゃんと承認がおりて初めて契約成立です。
でも初めての申込みです。
始めてから確か2か月は経過していたでしょうか。
長かった。
その帰り道で、涙がこみ上げてきたのを今でも思い出します。

それをいいことに、同時期は「私の第1号のお客様になってください」などと情に訴えていたこともありました。

 

こんな形で売れたこともありました。

個人宅かと思って飛び込んだら、化粧品の代理店の事務所でした。
営業の人たち女性が数人。
年齢はみんな30代半ばくらい。
「同じ営業の若いお兄ちゃんががんばってる」とでも思ってくれたのでしょうか。
初めから気持ちよく接してくれました。
半分面白がっていじられてる感じではありましたが。
話を拡げようと、置いてあった男性用のヘアケアの商品のことに触れると、逆営業をかけられ、買わないとしょうがなくなりました。

店主らしき女性に保険の話をすると、ご主人の保険の話が出たので、会わせて欲しいとお願いしました。
その時は上手くあしらわれました。
さすが営業のベテラン。負ける。

しかし、何度目か訪問した時に向こうから「主人が仕事から帰ってきた時に、ちょっとなら会ってくれるって」と言ってくれました。
ご主人に話してくれていたようです。嬉しい。

ただし、会社から帰ってきた一瞬。
たびたびは会えないと感じました。
おそらく一発勝負です。
緊張しました。
提案書と手土産を持って、約束の日の夜7時頃にその人の自宅を訪問しました。
店主だった女性、家では奥さん。
家の中に上げてくれました。
「主人はまだ帰ってないの」。
でも一人おじさんがいました。
ドキッとしましたが、ご主人のお兄さんでした。
たまたま来られていたのです。
緊張しながら待つことに。
話題も出てこず、気まずい雰囲気を感じて、すでに疲弊していました。
するとそのお兄さんが話しかけてきて、いろいろ聞かれたりしたあと、趣味の鮎釣りの話をし始めました。
やがて自慢話になり、冷凍庫から釣ってきて冷凍した鮎を見せてきました。
その日釣った鮎を持って来られてたみたいです。
緊張しているところにペラペラ話されて余計疲れました。

そんな話を聞いている最中、ご主人が帰宅。
緊張MAX。
疲れた表情でブスッとされています。怖い。気難しそう。
どう話しかけたらいいのか。
すると奥さんが「今まで待ってはったから、ちょっと聞いてあげて」と助け船を出してくれました。
ご主人がスーツを脱ぎながら聞くって感じでした。
立ったままです。
私は恐る恐る「お疲れのところ申し訳ありません」と自己紹介したあと、手早く提案書を出し、立ったままで話しました。
ご主人は頭のいい人みたいで、プランの図をサッと見て「これってすごい損な内容やな」と言い始めるといくつかダメ出しされました。
ぐうの音も出ません。まだ私には、対抗できるような知識も話法もありませんでした。
「そ、そうですねぇ」冷や汗が出てきました。
反論の余地なし。一方的に言われて終わり。
奥さんも黙っていました。
夜に来て散々待って瞬殺。

傷つきながら提案書をカバンにしまっていると、横からお兄さんが話しかけて来ました。「手ぶらでは帰れへんのやろ?」と。
私が困りながら「ま、まあそうなんですけど…」と言うと「大きいのは入れへんけど、何かええやつ見積もって持ってこいや。入ったるし」。
ものすごく嬉しかった思い出です。

「ニーズ喚起して必要性を感じてもらって」と理解し始めてた頃です。
人の情で売れた経験は貴重でした。

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・地区開拓を終えて

いろいろな経験をしながら、返事を聞ける先は増えて行きました。
そうなると前よりは断りへの恐怖心は和らいでいました。
4月の終わり頃から始まり、確か7月頃にやっと第1号契約をいただきました。
地区開拓最終月の9月には、全く売れなかった時期がウソみたいに、1か月で15件販売できました。
普通の月に優績者が4件前後が平均の時です。

50人近くの同期の中でもベスト5に入りました。
商売のために一から人と接点を作って行くことは、苦労の連続でした。
短期間の実践だったから踏ん張れたのかもしれません。
しかし、その中から、営業の本質、人の情を学びました。
そして自分にもできたという成功体験は、かけがえのない財産となりました。

 

そうして地区開拓は終わり、職域・法人開拓に移っていきます。

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