生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第8章-3
前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第8章-2
8.とどめのパワハラ
8-3
・うつ状態と戦々恐々とした日々
・うつ状態と夏の休暇でのできごと
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8.とどめのパワハラ
8-3
・うつ状態と戦々恐々とした日々
拠点の中では心理的に居場所がどんどん失くされていく感覚でした。
誰が本当に信じられる人なのか。誰が拠点長のシンパなのか。
結束し始めた育成担当リーダーたち。
結束してると思ってるのは私だけなのか。4人とも信じられる人なのか。
それも実は見えていなかったのです。
親切にされるとすぐ信じてしまうようになっていました。
1人のリーダーは拠点長に直接いじめられている。一見、同じ思いのように思う。
でもヒステリックな彼女とはよく対立しました。
もう1人の新人リーダーは同じ年。彼女も愚痴る。気楽に話せるのかとよく私も愚痴っていました。
でも何か拠点長にもその話が筒抜けなのです。それで拠点長から尋問を受けることがありました。
大ベテランの筆頭育成担当リーダー、その人から叱られました。誰でもかれでも信じて話してはいけません、と。その1人の新人リーダーは拠点長にもいい顔をする。「にも」というより拠点長「に」の方が近い。
私のことを随時チクッているらしいのです。
どうりで。二重人格。探偵か潜入捜査か。益々人が分からなくなりました。疑心暗鬼です。
その頃の私はうつ状態がひどくなっていました。
誰でも話を聞いてくれる人は「いい人」でした。人の選別ができない。
その筆頭の育成担当リーダーともう1人の新人リーダーの2人は仲良し。
話していてやっと分かってきました。
その2人がほんとに信じていい人だと。
4人結束もしながらも本音はその2人にだけ言うように心がけました。
元々心が病んだ状態で赴任してきました。
そこへまさかのパワハラでとどめを刺されました。
怒鳴る。脅す。利用する。使いっ走り。他の人間まで利用して私の居場所を失くしていく。心理的に追い込まれていく。
しつこくしつこく繰り返されます。
私の席は拠点長の横。じっと座っているのが苦痛でしかたありません。
いつ何時呼ばれるのか怖くて怖くて。
自席なのに立ったままパソコンをいじったりすることが増えました。
印刷してプリンターに何か今にも取りに動くような素振り。
気持ちが逃げているのです。そわそわ自然と立ったまま作業をしていることが増えました。
3階で新人の研修をしている時は唯一離れていられる時間。駆け込み寺のような場所でした。
昼前11時頃になるとその拠点長は決まって出て行く。待ち遠しい時間です。
夕方4時頃には戻ってきます。
つかの間の心の休息。
夕方4時頃決まったように戻ってくる。
1階の駐車場で例のビンテージもののベンツのキリキリとハンドルを切り返す音が響いてくる。
「帰ってきたぁ」思わず心臓がバクバクし始めます。
時々、夕方に信じられる2人のリーダーに頼んでムリヤリ新人の同行を入れてもらいました。
リーダーも心得ている。ササッと私の状況を分かってくれている新人に指示。
二つ返事で一緒に出てくれる。
本当は行くところはないのです。缶コーヒーをご馳走してグルグルドライブです。
拠点長が会社を出る時間帯までウロウロしていました。
夕方、拠点にいる時はその時間帯はもう放心状態です。
呆然としていることも多々ありました。
ベテラン勢のリーダーたちもよく心配してくれました。
でもその人たちも拠点長にはいい顔もする。
どこでどうつながっているのか分からないので愛想笑いでごまかしていました。
ある時、新人研修に参加することが決まった人がいました。
増員決定です。
しかし、私も育成担当リーダーも連携ミスで研修参加の申請を漏らしてしまいました。
その申請が期限までに入力できてないと、どうあがいても当月からの研修参加は絶対ムリなのです。
万事休す。その人は当月を逃すともう来ない。
その事実を知った時は生きた心地がしませんでした。
案の定、逆鱗に触れてしまいました。延々と続く執拗な詰問。
「支社長に電話して、支社に引き揚げさせて下さいと言え」と迫ってきます。脅しです。
つまり管理職をクビにして下さいと申し出ろと言うことです。
当時は私も生活や教育費がかかっています。管理職を降りることは考えてもいませんでした。
もう冷や汗が止まりません。
余りの執拗さに、本当に電話に手を伸ばすと拠点長も違う話をし出す。そしてまた脅す。
拠点長は私が電話なんか絶対にできる訳がないと高をくくって脅してきたのです。
でもこっちも止むに止まれず電話に手を伸ばす。そこで話を一旦濁しにかかる。
拠点長も本当に電話されたら困るのです。管理責任を問われるから。拠点内のことやパワハラが表だってしまうと困るから。そして本当にいなくなったら自分一人では何もできないから。
それも頭をよぎりましたが、実際に電話をしたら、その後に何をされるか分からないという怖さがありました。
私にそんな余裕はないものの、一種の駆け引きでもありました。
電話をするしないでは埒が明かないと思ったのか「土下座すれば許してやる」と言い出しました。
ものすごい屈辱です。仕事で土下座。苦情でヤクザに土下座したことはあります。
が、同じ社内で上司に。
しばらく呆然としながら躊躇しました。
でも、やむなく土下座しました。「お許しください」とまで言わされました。
涙があふれました。
いったい自分は何をしているのか。
恐怖と屈辱で頭の中は真っ白でした。
しばらく窓際のパソコンの席に座って、仕事をする振りをしながら呆然としていました。
信頼のできる育成担当リーダー2人もかなり心配してくれていたようです。
そんなことも知らず、その拠点長が帰ってすぐ私はすうっと会社から出ました。近くの焼き鳥屋に飲みに行きました。自分の逃げ場の一つでした。
酒を飲んでため息つきつつも頭の中は真っ白。何がなんだか分からない。このまま消えてなくなりたい。
そんな何も考えられないような状態でやけ酒を飲んでいた時、いきなり1人の育成担当リーダーが店に現れました。
「いたっ。いたよ。生きてるっ」。そのリーダーはケイタイで誰かに叫ぶように話していました。
私のただならぬ雰囲気を察して、突然いなくなった私を探してくれていたのです。自殺すると思ったらしく、その育成担当リーダー2人が手分けして海岸沿いや林なんかも探してまわってくれたようです。ありがたいことです。
でもビックリしました。まさかそんなことになっていたとは。
救われる気がしました。
・うつ状態と夏の休暇でのできごと
そもそもHSPで繊細な性分です。
そこに自身の生い立ちなんかもあってか社会人になって生きづらさは顕著になっていきました。
常に不安、明日が憂鬱。
何をしても楽しめない、何を達成しても達成感がない。
更に30代半ばになり、仕事に燃え尽き、パワハラに遭い、そして家庭が崩壊し、家族と離れ…、人生に行き詰まりを感じました。
どんどん人生が転がり落ちていく気分。
心はひどく病んでいました。
その状態でこの転勤。家族とは更に遠く離れ、まだ人生は落ちていくのかと打ちひしがれました。
赴任してすぐ強烈な仕事量に圧倒され、何がなんだか分からない状態に。
そして今までの受けたパワハラが子供だましに思えるほどの強烈なパワハラが毎日毎日毎日、繰り返し繰り返し。
行き詰まりを超えて、何かが切れてしまっていました。
以前の章でも言いましたが、ノイローゼなのか、うつ状態なのか、病院に行っていれば確実に何かの診断は下されたでしょう。
更にひどくなっていました。
でも当時は病院に行くなんて発想はほんと起こりもしませんでした。かかると何かの烙印を押されてしまうと思いこんでいました。そういう時代です。
今思えば、もっと早くに医者にかかって薬の一つももらっていれば、もう少しは心穏やかだったかもしれません。
当時の症状や感覚を覚えているだけでもたくさんあります。
極度な恐怖感、不安感が襲ってくる。怯えた状態がずっと続く。
常に自分を責めてしまう。何でも自分が悪いのではと思ってしまう。そのくせ被害者意識も強い。
自分が何者かさえも時折分からなくなる。
何に対しても興味や関心が持てず、億劫でやる気も起きない。
今やっていたことが分からなくなる。記憶が飛ぶ。
心の逃げ場を渇望している。常に逃げ出したい気分。消えてしまいたい気分。
もちろん身体にも支障が出ていました。
ものすごい焦りが突然襲ってきて、のぼせるてくる。
心臓が突然バクバクしてくる。冷や汗がでる。
喉元が締め付けられるような感覚で苦しくなり、息苦しくなる、 等々。
このままでは年度末まで持たない。自分が先に壊れてしまう。
日々手帳の年間カレンダーに、1日が終わるたびに×印を付けて残日数を数えていました。
全く日が進んでいると感じられず、焦燥感でいっぱいでした。
やっと夏の休暇、お盆休みが来た時です。その頃はまだ妻の実家にも半々の日数で帰省していました。
今思えば、まだつながっていたのか。
夫婦に溝ができていることは義父母も知っています。夫婦の会話もほとんどない。私も気まずい気持ちはありました。
妻の姿も久々にゆっくり見られる。何か進展はできないかと期待もする反面、神経をすり減らす。ただ子供にもやっとゆっくり会えるのは嬉しいことでした。
でも私はどこか周りからも様子がおかしく見えているようでした。自分の心が病んでいることは分かっていても、それが態度に表れているなんて自分では全く気付いていません。
HSPのせいか、結婚後何年経っても、お客さんとまではいかなくても、義父母には一定の神経を使ってきました。
帰省して初日の晩、自分では気を使っているつもりでした。でも無意識の領域で私はおかしくなっていました。
知らず知らず勝手に冷蔵庫を開けてビールを次々勝手に自分のペースで飲んでいたようです。
周りの空気は今思えば、全く見えていなかった。
周りからはどんな風に見えていたのでしょうか。
義父と義母が目くばせしたのは感じました。
次の瞬間、温厚な義父が私のグラスを取り上げて「〇〇くん、いったい何をしてるんだっ。みんなの気持ちが見えないのかっ!」と怒鳴られたのです。
私は一瞬、何が起こったのか理解できませんでした。
みんなの呆れたような心配したような視線が一斉に浴びせかけられました。
子供の前で…。ものすごく恥ずかしい気持ちが先に立ちました。
会社で怒鳴られ、こんなとこでまで怒鳴られるのか。「みんなの気持ち?」
被害者意識の塊です。
何で怒鳴られないといけないのか。気付けない。分からない。想像もつかない。ビールを飲んだから?
でも義父から初めて怒鳴られ、ものすごいショックで落ち込みました。ただただ謝った記憶があります。
周りが気遣ってくれてることにも気付けなくなっていました。
私の実家に一人移動しました。
夜、以前「お前は一人違うぞ」と電話で励ましてくれた幼馴染の親友と飲みにいくことになりました。
その時、自分でもハッとしました。親友になぜか無意識に半分敬語で話している。
「おまえ、気持ち悪いねん」と言われ、「ごめんな」と謝ってしまう。また何か言われると「ごめんな」と謝ってしまう。何でもかんでも謝ってしまう。自分でも分かりません。ものすごく親友が遠く感じる。すごく他人に感じる。お客さんのように感じる。自分が自分でないように感じる。自分でもどうにもならない感覚です。
また「おまえ気持ち悪いわ。何やねん」と言われ、先日の義父に怒鳴られた話をしました。私としては被害者のように話しました。自分は悪くないのにいきなり怒鳴られた、と。
親友にボロカス言われました。「おまえ、どうしたんや」。
私としては慰めてもらえるくらいに思ってたのに親友にまでボロカス言われました。
いったい自分の何が悪いと言うのか。
全く人の気持ちを汲む能力がなくなっていました。
親友に言われました。「今のおまえ、ほんまに変やぞ」「そら怒られるわ」「おまえが悪いんやろ?!」。
矢継ぎ早に言われました。また私は「ごめんな」と謝りながらも親友にまでもそんな言われ方をしたことにショックを受けました。
味方が誰もいない。孤立無援。独りよがりでした。
その頃の私は完全に自分を見失っていました。
親友には最後にボソッと言われました。「おまえ、死ぬなよ」
長男は6年生。たまたま彼の中で格言のような言葉を考えるのがブームだったのか、それとも私の何かを感じ取って書いてくれたのか…。
お盆の休暇も最後の日。長男が紙に格言のようなオリジナルの言葉を書いてくれました。
落書きのようにウサギとカメの挿絵も入れて。
「できないこと、知らないこと、たくさんあっていいよ。
だってそれは可能性だもの。これからのあなたの可能性だもの」
「失敗を恐れないで下さい。後悔はつきものですが、やり直しはいつでもです。
いつの日も、どんな時も、『これから』とは、なんとすてきな響きでしょう」父さん仕事ガンバレ! ぼくはおうえんしてるよ! ガンバレー! ファイトー!!
涙があふれてきました。私の心の支えになりました。今でも額縁に入れて飾っています。
このままではいけない。真剣に考え始めました。
次章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第8章-4
■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)
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