生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第8章-1
前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第7章
8.とどめのパワハラ
8-1
・降格と古いマンションの小部屋
・本物のヤクザの親分のような拠点長
・大型拠点と不払い問題
・優しさからの豹変
・巧妙な心理操作
・繰り返す恐怖のパワハラの日々
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8.とどめのパワハラ
8-1
・降格と古いマンションの小部屋
年度末、拠点長会で約束した数字はできず、他の拠点が約束以上にやってくれたお陰で、支社は年間売上目標額を仕上げることができました。
ムリする勢いもなく、責任は果たせず。
何とも後味の悪い終わり方でした。
ただ気持ちはもう新年度の異動先に向いています。
やる気、ではなくどうなっていくのか不安でいっぱいだったのです。
日本海側、実家の近隣県への赴任です。やっと故郷には近付きました。
ただ家族とは少なくとも1年間は更に遠く離れます。複雑な気持ちを引きずったまま。
今度の転居先の住居は勝手に決められました。
それまではある程度現地で住居を見繕ってもらって選択できました。
嫌なら別を探して欲しいと頼むこともできました。
それがその年から会社が業者に代用社宅の一切合切の運営管理を委託するようになり、当事者の意見は考慮されなくなったためです。
部屋の見取図はFAXをもらってましたが、文字や線がつぶれてよく見えませんでした。
だから着くまでどんな部屋だか不安なまま。
家族のいない他県に転勤。完全な単身赴任です。
毎週戻ることもたぶんできなくなる。
1人で荷造り。侘しい。1人分なので1日で何とか終わりました。
翌週の土曜日に荷出し。家族は来ませんでした。野球もあるから?遠いから?
転勤すると更に遠いので、そのまま家族とはしばらくは会えないでしょう。
辛い気持ちを引きずりながら赴任先に向かいました。長距離です。
午前中に出て、夜遅くに無事着きました。その日はビジネスホテル泊。
翌日初めて転居先のマンションを見ました。7階建分譲マンションです。一部賃貸に出ているのでしょうか。
百世帯以上は入居しているような大きなマンションです。外見は豪華な雰囲気でした。
そんな豪華に思ったマンションでも、私の部屋は端っこの小部屋でした。
築30年以上。古い。6畳1間。新築当時からのカーペットが敷き詰められたまま。古くさい。毛羽立っていて気持ち悪い。
ベランダの戸は固くて開かない。天井は鉄筋がど真ん中に出っ張って通っていて凸凹。
6畳1間が2つに分断されたような天井。そして小さな押入れが1つ。
部屋を出ると、部屋に沿った、人1人通れる幅の通路。窓もなく薄暗い。
そして日が当たらないからかカビ臭い。
その通路に沿うように小さな流し台と電熱コンロが1つ。何とも古いタイプ。
その横には洗濯機のスペース。そして奥にはトイレ・洗面・風呂が一つになった狭いユニットバス。
そこもカビ臭い。
電熱コンロは初めてです。試しにお湯を沸かしてみました。なかなか熱くならない。でも熱くなってからは異常に熱い。ものすごく沸騰しました。消してからはなかなか消えない。ずっと沸騰したまま。
部屋に入って思いました。閉じ込められているような部屋。前任地の3DKからいきなり古い1K。
ボイラー室かなんかをムリヤリ改造したような部屋。洗濯干しも睡眠も収納も何もかも6畳の部屋の中で。
何もかも行き詰まったと思い詰めてきました。不安と憂鬱さにさいなまれてきました。
その部屋を見て、まだ人生は落ちていくのかと落ち込みました。負のスパイラル。ネガティブな感情が溢れていました。
・本物のヤクザの親分のような拠点長
次の拠点は60人近く職員が在籍する大型拠点です。前任地の3倍。
ベテラン勢のリーダーは4人。新人勢の育成担当のリーダーも4人。リーダーも倍の人数です。
私は40才も目前。1人が同じ年以外は6才~20才近く年上の人たち。お姉さまばかり。
そして、着任の朝はすぐやってきました。また副拠点長。大勢の拠点。
心は穏やかではありませんでした。心は病んだまま。孤独感も半端ない状態です。
拠点へは歩いて行ける距離でした。
拠点は駅前。大きなスーパーや商店街もありました。前任地に比べてずい分開けた町。それは嬉しいことでした。
でも逆に役職や住居は落ちていくばかり。
拠点は独立した建物でした。中に入ると、リーダー方が出迎えてくれました。
始めにリーダー方と挨拶。明るく親切な人たちで安心しました。
拠点長はまだ出社してませんでした。どんな人なのか、ドキドキしていました。
うわさでは59才、定年前。迫力のある人らしいと。
初めて管理職として副拠点長になってから、同じ拠点内で仕えた直の上司である拠点長は今まで3人。
内設拠点時代やリーダー時代に仕えた拠点長も含めると6人。
年間で目指す目標は同じでも、それぞれに拠点経営の考え方ややり方が全く違うので、上司が代わるたびに翻弄されてきました。
前の上司のやり方にようやく慣れたかと思うと、新しい上司に全否定されて違うやり方を要求される。
しかもみんな自分のやり方に慣れていて当たり前のように思っている。
矢面に立たずに済む反面、仕えるしんどさはありました。
そんな思いがグルグル回っていた中で、拠点長が出社してきました。
今でも覚えています。
まるでスターウォーズのダースベーダーが登場するシーンを彷彿とさせる戦々恐々とした雰囲気。
姿を見た瞬間、一瞬のけ反りました。
まるで本物のヤクザの親分かマフィアのボスのようないでたち。
その風貌は貫禄があって紳士だった俳優の故 岡田真澄さんのような雰囲気。ただし、目だけは違う。蛇のような目。平気で人を殺めるんじゃないかというような冷たく鋭い眼光。
髪の毛を紳士のようにビシッと決め、高級そうなスーツ姿でゆったりと歩いて入ってきました。
「怖い!」。多くの拠点長を見てきて初めて感じるような恐怖でした。
今までも強面のヤクザチックな拠点長は見てきました。
それとはまた違う。別格。ほんと、本物のヤクザの親分かマフィアのボスのような。
声は低音でドスが利いています。で、無口。黙っている。それがまた余計に怖い雰囲気を醸し出す。
話す時もゆったり話す。肌で感じる怖さ。
職員たちもその拠点長の前に行くと直立不動。指示を受けると丁寧でまるで儀式の時のようなおじぎ。教えられた訳でもなく、自然にです。
どこかの独裁国の将軍様を前にした家来のような立ち居振る舞い。
・大型拠点と不払い問題
ちょうどその頃は生保業界の保険金「不払い問題」という不祥事が世間を賑わせていました。
不適切な不払いもあったようですが、正確には「支払いモレ」や「請求勧奨モレ」がほとんどだったように記憶しています。
平成になって以降、保険の自由化が進み、各社が新たな商品や特約の販売競争を激化させていました。
その結果、商品内容が複雑化し、人も機械も付いていけず、支払管理態勢が不備だらけとなりました。
顧客から請求があったものだけが支払われていたのです。
その他の特約が支払い対象でも把握しきれていないため案内もできてなかったのです。請求勧奨モレです。
そんな支払いモレとなっていた契約が業界全体で山ほどありました。
点検の結果、最終的には38社で120万件を超えていたようです。
金融庁の大号令で、過去5年だったか10年だったかに遡ってすべての保全手続き書類を再点検せよとの通達がでたところでした。それがちょうど3月の終わりごろだったと思います。
私の会社でも拠点にいる事務内勤や支社の内勤も本社や支社に引き揚げとなりました。
ホテル泊で連日会社に缶詰状態。何カ月にも亘って事務内勤総出で点検が行われました。
その間、拠点はすべてシャッターを閉め、営業もほぼ自粛。保全手続きのみの活動となっていました。
にわかに拠点長が拠点での事務内勤の代理をすることになったのです。
その拠点長は大きな方針を指示するだけで、全く事務や細かなことは分からず、関わることもする人ではありません。すべて私にしわ寄せがくる。
前任地は小さな拠点でした。事務も少ない。
孤独感に打ちひしがれて全くやる気が起きずにいましたが、何とか事務的なことはこなせました。
気持ちは変わらないまま。でも60人近い拠点。そこで更に事務内勤の仕事まで押し寄せてきました。
ほとんど知らない事務仕事を着任してすぐにやることになりました。
もちろん「拠点長」の仕事も方針以外はほぼすべてやった上で。
パニック状態でした。また何がなんだか分からない状態。
それでは終わらず。
新人が来ることになると、入社前に生保の募集人資格の業界共通の試験があります。
本来は支社の専門部署の講師が各拠点の新人を合同で研修します。
しかし、その拠点は支社から距離があるため試験研修を自前でやらなければいけませんでした。
午前中2時間、午後からも2時間。私が講師という訳です。
その拠点長は指図のみ。他は全く何もしない。それでも怖すぎて歯向かえません。
そんな私にベテラン職員の企業同行や新人の顧客訪問の同行もしろと言ってきます。
「前任の副拠点長は昼の休憩も惜しんで同行してたぞ」などと低いドスの利いた声で囁いてきます。
それがまた怖い。
「そんな時間があるとでも思ってるんか。そんなんこそあんたが行け」。
もちろん言えません。頭の中で叫んでいるだけです。
怖すぎて歯向かえません。
ほんと何がなんだか分からない日々が始まりました。
・優しさからの豹変
にじみ出る凶暴さ。醸し出す大物ヤクザの雰囲気。
しかしその拠点長は優しかった。始めの頃は…。
私の何を知っているのか、感じとったのか。
「苦労してきたんだろ、ん?」と促すように質問。
そして「大変だったなあ」と労う。
精神的に病んだままの私にはすごく優しく聞こえました。その時は…。
その拠点長は昼飯や晩飯もちょくちょくご馳走してくれました。もちろん会社の経費ですが…。
私が20代でリーダーを経験した時のヤクザチックな大物拠点長のように、この人も実は懐の深い人なのかなと思いかけていました。
仕事は全部任されてパニックでも、自分の心が立て直せるキッカケになるかもしれない。そう感じ始めていました。
その時はまさか私の様子見と型にはめていくための前振りだとは思いもしませんでした。
優しい頼れる人だと信じかけていた矢先。4月も終わろうかという頃。
支社での会議に私の車の助手席に乗せて往復。
帰り着いた時、車中で何やら私用の用事を命令されました。
一瞬「えっ」と言ってしまった途端、大声で罵声を浴びせられました。
怖い。一瞬にして凍りつきました。
そこから急激に態度が豹変していくのです。
・巧妙な心理操作
朝に夕に自席に呼びつけられては、自分の型にはめる心理操作が始まりました。
自分の思い通りに動くしもべに仕立てていくためでしょうか。
自席でふんぞり返って足を組み、微動だにせず。
その恐ろしい蛇のような目で、目の奥まで覗き込むような眼差しで私を見る。
そして低く太い声でゆっくり話す。
質問のように語り、脅すように促す、の繰り返し。
「〇〇はどうするんだ、ん?」
ボソボソ答えると「それでいいと思ってるのか、ん?」
こんなパターンで畳みかけてくる。
出来そうもないことを要求してくる。でも断れない。
とにかく見るだけで怖い。蛇に睨まれたカエル。怯えている。
「目が泳いでるぞ」と言ってかましてくる。
何もかも見透かしたように。
ある時は、「お前はみんなに〇〇と思われてるんだぞ」と私が職員たちから批判されていると言ってくる。
「そうですか」と言うしかない。
すると「嘘だと思うか?」と言う。咄嗟に「いいえ」と答えても「今すぐ△△に電話して確認してみろ。早くしろっ!」と怒鳴る。
仕方なく、その場で実際に△△という職員に電話すると「本当ですよ」という返事。
そうして私に信じ込ませる。
あとで△△職員に確認して分かったことですが、△△職員は事前に私から電話がかかるからこう答えるようにと指示されていたというのです。
巧妙です。そこまでやるか。
そうやって私の心理的な居場所を奪って孤立させていく。
その拠点長は毎日夕方6時か7時までには会社から出ていきます。
週末の〆切後、夜9時過ぎにその拠点長から電話がかかるようになりました。
いきなり酔っ払った口ぶりで怒鳴り続けられ、「10分後によく考えて電話してこい」と言って一方的にガチャッと切られる。やむを得ず10分後に電話するとまた怒鳴り散らされ、また10分後にかけてこいと言って切られる。そんなことが数回続く。それがほぼ毎週続きます。
段々ノイローゼのようになっていく。週末の夕方になるとトラウマのように恐怖が走る。目覚まし時計のように勝手に心臓がバクバクして息苦しくなってくる。
そうやって私の意識を喪失させていく。
朝礼でも「僕は〇〇と思うんだけど副拠点長は△△と思ってるらしい」と自分は職員のことを思いやってるのに私は職員に対してひどいことを考えているようなことをまことしやかに語り、私を追い込んでいく。
私が苦情処理を解決できなかったことも「かわいそうになあ、僕だったら責任もってきちんと解決してやるのになあ」などと言う。苦情に動く訳もないのに。印象操作です。
職員の中には「副拠点長もたいへんやね。かわいそうに」という人もいました。
また、その拠点長にいい顔をする職員も少なからずいました。
多くは怖くて表立って言わないのか、それともその通りに受け取っているのか分からず、私自身が疑心暗鬼に陥っていきました。
その拠点長がすごいなと思うところもありました。
その拠点長は職員の動きや表情を時々じろっと見ながら心理も読んでいるのか。
その拠点長が職員を自席に呼ぶ。「〇〇の件、よかったな」と一言。たった一言です。
するとその職員は深々とおじぎをして戻っていく。
あとでその職員に聞いた話では本当に嬉しかったというのです。
たった一言だけで。不思議でした。職員たちはその拠点長を悪くは思ってないのか。
退社申し出のあった職員を私が1時間近く話を聞いたり説得したりして、話保留で出てくると、その拠点長は「関西のお兄ちゃんがペラペラ話しをしていったい何が変わったんだ、ん?」とたしなめられました。
そして自身が直接もう一度その職員を呼んで話、一言二言。
退社の申し出が止まったのです。怖さなのか何なのか。それは違った意味で思い知らされました。
拠点には様々な業者が売り込みに来ます。その拠点長は気に入った業者だと商品を買ってあげてました。
更に同じ支社の拠点長たちにも電話して買ってやってくれと話していました。周りの拠点長もその拠点長の頼みだと断れず買っていました。情に厚いのかと思わせる行動。
しかし、業者に一旦不手際があると怒り出し、買ったものを強引にキャンセルさせ、更には言われて渋々買った他の拠点長にも電話してキャンセルさせる。その執拗さに脅威を感じずにはいられませんでした。
支社からの電話で事務的なこと以外を話すと執拗に内容を確認されました。何を気にしているのか分かりません。
でも執拗に確認されました。
異常に拠点内のことを隠そうとするのです。支社までも心理操作するのか。
支社幹部に電話する時なんかはどういう話をするのか内容まで指示される。
自身のパワハラなどが知られるのを避けているのか。
それとも支社にまで拠点のイメージを心理操作するのか。
・繰り返す恐怖のパワハラの日々
恐怖の心理操作だけでなく、ストレートなパワハラそのものも頻繁になりました。
その拠点長からケイタイに電話がかかって3コール以内に出なかったら怒鳴りまくられる。
〆切の日は、私に成績のできてない職員に「自爆」させるよう強要してくる。
躊躇していると「お前には家族もいるんだろ、ん? いい人でいたいのか、ん? 自分のために非情になれんか、ん?」と執拗に迫ってくる。
その場断り切れずその職員の方に出向く。もちろん「自爆」を強要なんてできません。それに数時間でそんなこともできません。
とにかく〆切時間ギリギリまで成績を詰めるべく走っているという姿を見せることで誤魔化していました。
着任後に知りましたが、その拠点長は私と同じマンションのしかも真上の上層階に同じく単身赴任で住んでいたのです。
もちろん広いいい部屋です。最悪。家に帰ってまで顔を合わせたくない。
でも時々、夜10時や11時に電話が鳴りました。ドキッとします。
「今すぐ焼酎を買ってこい」などと酔っ払った口ぶりでかかってくることもありました。
まるでヤクザの舎弟か付き人のようです。
その拠点長は週末、隣県の自宅に帰ります。
ある大雪の日の週末。夜10時頃に電話がかかりました。
嫌な予感。また何度も切られてはかけてこいと言われるのか。
違いました。帰りの高速道路で事故ったから、迎えに来て自宅まで送れというのです。
一瞬渋ったら、また唸り倒されました。
怖い。
仕方なく、大雪の中1時間以上かけて事故現場へ。
車は前が大破していました。そこにJAFが引取りに来るのも待たされ、そこから自宅までまだ1時間。
帰りの途につく頃には既に午前1時。そのまま帰っても3時は過ぎてしまう。
眠くて途中のSAで休憩していたらまた電話。まだ帰り着いてないことにまで激怒されてしまいました。
こうした心理操作、繰り返される日々のパワハラで私は更に疲弊し、自分をどんどん見失っていきました。
次章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第8章-2
■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)
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