生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第7章
前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第6章
記事 第7章 ~目次~
7.初めての単身赴任
・初めての単身赴任
・小さな拠点で拠点長に復帰
・寂しさのあまり
・スナック通いと昼寝の日々
・週末の悲哀
・最後の最後に
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7.初めての単身赴任
・初めての単身赴任
夫婦関係のよりを戻したいと願ってる矢先。
子供もかわいい盛り。
自分の心が不安定な時。
そんな時に単身赴任か。
家族と引き裂かれてしまう。一番避けたい事態でした。
実際に赴任するまでも葛藤は続きました。
引越しの日、妻も子供も現地まで来てくれました。
なぜ来てくれたのか。不思議さと少し嬉しさと。
赴任地は県境にある小さな町。
田畑、山、川、海。市民2万人もどこにいるのかと感じる風光明媚なのどかな田舎町。
新たな単身赴任の住居は意外と新しいきれいなマンションでした。
何と1人なのに3DK。逆に広過ぎて寂しさがクローズアップされる。
でもそこくらいしか空いてませんでした。
田舎だからか、この広さでも1人用代用社宅の予算枠内で納まりました。
マンションは5階建。町には他に5階以上の建物はほとんどありません。
1階にはスナック。近くには本屋、スーパー、飲み屋もチラホラ。
一応、町の中心地です。
新しく小さな冷蔵庫やテレビを買いました。けっこうな出費です。
洗濯機やコタツなんかは中古のもらい物。
寮生活以来の一人暮らし。今度は共同の風呂や食堂でもなく、本物の一人暮らし。
家族が帰った後、ものすごい孤独感に襲われたことを今でも覚えています。
・小さな拠点で拠点長に復帰
新たに担当する拠点はまた営業職員20人足らずの小さなところ。
田舎の小さな拠点だけに自社の事務所を建てることもなく、また近くに事務所に見合うようなテナントビルもありません。
NTTが移転して廃墟になった敷地内にあるプレハブの2階事務所を間借りしていました。
建設現場にある簡易事務所みたいなやつです。
家庭のことで気持ちが上の空状態の私は拠点のことをろくに調べもしないで着任しました。
支社から遠いからか一人で初出勤。
リーダーは4人。ベテラン勢、新人勢、それぞれで2チームずつです。
前任地と違い、みな人がよさそうで安心しました。
「歓迎」の貼り紙もしてくれてました。
しかし事務所はプレハブだけあってほんと仮住まいのような感じです。
「みな何も文句を言わずにがんばっている」
私は事務所の雰囲気だけで重い気分になっていました。
そうこうするうちに日にちが過ぎていきました。
毎日毎日あまりにも遅刻する職員が多いことに驚きました。
連絡もしてこない職員もいます。
子供のことややむを得ない事情ならまだしも、寝坊、何となく、みたいなふざけた理由が多いのです。
私が舐められているのか。ものすごくイライラしました。
出社してもちゃんと仕事してる風でもない。
なまけものだらけの拠点なのか。
私はイライラしつつも着任早々から怒ることは控えていました。
と言うより怒る元気もないし、どこかどうでもいいとも思っている。自分にエネルギーがないのです。
管轄地域には確かに自社のお客様は少ない。それ以前に住民そのものも少なく感じる。
企業もほとんどない。建設業なんかの小さな会社が時々見受けられるくらいのイメージ。
筆頭のリーダーに遅刻の事情なんかを聞きました。
すると半分くらいの職員は夜の水商売で働いていると言います。掛け持ち。いや、こっちが副業?
中にはスナックを自分でやっているママさんもいると。そっちがほんとに本業。
会社には社会保険目当てで来てるんだと知らされました。なんじゃそりゃ。
その町は主要産業がなく、雇用がかなり厳しい地域。
そのためか水商売で生計を立てる女性も多いらしいのです。
とは言え、そこまでスナックやラウンジがあるようにも思えないのに。
お金に困っている職員もいて、朝から借金とりが会社の入口に待ち構えていることもしばしば。
そのせいか突然失踪して行方が分からなくなる職員も何人もありました。
職員は個人事業主的な側面はあっても正社員です。だからこそ社会保険も完備しています。
大切なお客様も担当しているし、パソコンなんかも貸与している。
失踪されても放っておく訳にはいきません。
何日も時間帯を変えて職員の自宅近くに張り込んだこともあります。こっちがまるで借金とりか探偵のよう。
私が本業どころじゃない。
違った意味で大変な拠点でした。
堅物な支社部長とよくぶつかりました。「職員が失踪するなんてありえないっ!」なんて怒鳴られても
現実に起こっている。しかも何人も。自分が代わりにやってみろって思っていました。
自分が失踪したい気分。まるでやる気は起きず、こなす日々。いや、こなせていたかも怪しい。
人生が行き詰まった、心が行き詰まった。人生に生きづらさを感じ、不安、憂鬱、孤独感に打ちひしがれていました。
・寂しさのあまり
料理をほとんどしたことがなかった私。味噌汁の作り方も知りませんでした。
そんな私は寂しさもあって、平日から居酒屋通いが始まりました。
心は自分を見失うような異常な状態だったのかもしれません。
居心地のよさそうな居酒屋を探すのが唯一の逃げ道になっていました。
夜な夜な小さな飲み屋街をうろつくのです。
飲み屋街とは言っても、数百メートル四方の寂し気な住宅街にチラホラ居酒屋やスナックなんかが点在している感じ。田舎らしい。
居酒屋で飲んだあとはスナックにも目がいくようになりました。
ネオン街というと大阪の北新地や京都の祇園なんかを見慣れているので田舎の飲み屋街は何とも寂しい。ネオン街と言うには光っていない。ポツンポツンと看板の光がある感じです。
でもそれがまた何とも好奇心をかき立てます。
前任地では、選んで入ったはずのスナックなのに、いるお客さんは風呂上がりのパッチ一丁のおじさん一人。おまけに年老いたマスターが半強制的に手品を見せて自慢してくる。困った経験がありました。バカにするわけじゃないけど田舎らしい。
ここのスナックはどんな感じなのか、また好奇心いっぱい。気持ちの逃げ道。寂しさのあまり気を紛らわせたい。
そんな状態だったのかもしれません。
あか抜けた店を探し、ドアを少し開けては隙間から覗いて中の様子を見ては閉める。
ようやく「ここ」と思って入りました。
選んで選んで入ったのに。なんとうちの営業職員がホステスとして出てきました。覗いた時には見えなかった。
もしかしてと想定はしていたのにビックリ。
まさか1回目で「当たり」とは。
その職員、夜は派手な格好。朝の気だるそうな姿を知っているだけに引きました。
何でお金を出してまで職員と飲むのか。
それに仕事や寂しさからの逃避の心理状態なのに飲みに来てまで仕事が付きまとうのか。
たまったもんではありません。思わず、会釈して出ました。「明日気まずいなあ」と少し重い気分になりながら。
そこらじゅうのスナックがそうなのか。安易に入れない。
帰っても一人。今の自分なら気楽さを楽しめるのに。
当時は侘しい、寂しい、空しい。三拍子そろってます。
家族はどうしているのか、子供もかわいい盛り、会いたいという強い思いと、また明日仕事かという重い気持ち。
アルコール依存は家に帰ってもひどくなっていきました。
・スナック通いと昼寝の日々
侘しい、寂しい、空しい。何が何だか分からない日々。
スナック探しも心の逃げ道になっていきました。気を紛らわすことが優先になっています。
躊躇しながらも日々探し回るのが日課になっていました。
「今度こそ」。たまたまドアのすき間から覗くときれいなママさんとホステスの女性が1人の様子。
職員はいないだろうな。
勇気がいりましたが「エイヤッ」の気持ちで入りました。職員はいない。
落ち着いたBARのような雰囲気の店でした。他にお客さんはいない。いいような悪いような。
緊張しましたが明るく接してくれて楽しかった。気持ちが紛れました。
単身赴任を気遣って料金も安くしてくれました。
そこから平日も居酒屋からはしごしてスナック通いが日課になっていきました。
2日か3日に1回ははしごしたように思います。毎日はさすがにお金が続かないからです。
居酒屋だけで帰る日は何か寂しくて物足りなくて仕方なくなっていました。
とにかく気を紛らわせていないと自分が立っていられない心理状態だったと思います。
はしごすると滞在時間もエスカレートしていきました。深夜2時、3時。深酒。
翌朝、とてつもなく起きるのが辛い。アルコールはもろに残っている。超寝不足。
どうやって帰ったか記憶にない日もありました。
当然、会社に着いてもフラフラ。睡魔との闘い。職員が来るまでもウトウトしている。
朝礼もいい加減になっていたと思います。
朝礼が済めばもうしんど過ぎてじっとしていられません。
企業に行くような振りをしてスーッと出て行く。
そして町のはずれで何時間も車で昼寝です。
何時間も拠点長は行方不明状態。夕方には何事もなかったように拠点に戻りました。
もしかして目が泳いでいたかもしれません。うしろめたいから。
そして夜、また小さな飲み屋街に繰り出す。
とにかく逃げ道が欲しかった。気を紛らわせていたかった。
そんな日々になりました。
職員も当然気付いていたことでしょう。
酒臭い、仕事してない。そう見られていたと思います。
うしろめたい。でも私自身はどうでもよくなっていました。と言うより自分で自分のことが実感として分からなくなっていたのだと思います。
ただし、相変わらず支社へ帰る会議の時や、週末の電話での支社長への報告は怖く感じていました。
それ以外は支社からも遠く離れていて支社との絡みも実感が湧いていなかった。
当時の支社長は穏やかな人。でもそんな人にも「君のことは認めない」と言われたことがあります。
私には何が何だか分からない。がんばっているのに。何でそんなことを言われるのか。
まるで現実味のない感覚。客観視できてませんでした。
・週末の悲哀
何もかもが行き詰まった。更に家族とも引き裂かれた。
自宅まで車で3時間半。
故郷ももっと遥かに遠い。車で8時間以上はかかる。
どんどん何もかもが悪くなっていくように感じていました。
被害妄想。被害者意識の塊。自分を省みることはできない状態。
周りから見ればただの単身赴任のお父さん。
もっと自分に厳しくなってちゃんと仕事をしないと返って家族を泣かせることになるよ、と見えるのではないでしょうか。
自分の心のもろさ、気の弱さ、嫌気がさしてもいました。コントロール不能状態。
一度スパイラルに陥ると落ちていくばかりに感じます。
週末だけが息継ぎの時間。自宅まで3時間半も何のその。こんなエネルギーはある。むしろ、そこしか元気の素がない。
子供に会いたい、妻の様子が見たい。会社の関係する地域や人から少しでも離れたい。
故郷へのホームシックもすり替わり、自宅が故郷のような感覚になっていました。
土日、自宅に帰るとすぐに長男の野球の練習グラウンドに合流します。
土曜は早くて昼からだけど、日曜は早朝から夕方近くまで練習に付き添います。
私はスポーツ観戦なんかも苦手。結果だけ知ればいいタイプです。
また、同じ場所でじっとしているのが苦痛。心許してない人には神経をすり減らす。
そんな他人と長時間一緒にいるのはもっと苦痛。
でもしょうがない。子供に会いたい。妻の様子が見たい。なら、しょうがない。
子供が楽しそうに野球をがんばっている。妻は一生懸命世話している。
長く感じる1週間。やっと休日が来た。待っていたこの瞬間。なら多少の我慢もしょうがない。
ただ妻とはほとんど会話もなく、周りの親たちは不思議に思っていたかもしれません。
週末によっては練習試合で遠征もちょいちょいあります。早朝から出発で、休日くらいほんとはゆっくりしたい私には苦痛でした。
よそのお父さんはマメに動いている。私も察知して一生懸命動いているつもり。
でも妻は無言の空気で圧をかけてくる。目を合わせる訳でもなく。
HSPの私は敏感に感じとり、ストレスを感じる。そんな感じでした。
妻の顔色を窺いに長時間かけて帰っているのかとさえ感じました。
心理的にはいつの間にか奴隷のよう。
家族に会えた喜びと引き換えに侘しい気持ちも感じずにはいられませんでした。
日曜日にはまだ練習も終わらない時間にもう単身赴任先へ戻る準備です。
その時間帯になるととてつもない寂しさが襲ってきます。
後ろ髪を引かれる思いです。
ある時、幼い次男に言われました。「また来てな」。
今でこそ笑えますが、当時は幼い我が子に言われて「俺はすでによそ者なのか」とひどく落ち込みました。
また3時間半かけて帰ります。帰り着くまで寂しさとの葛藤です。
帰り着くと現実に引き戻されて翌日の仕事のことが頭にもたげてきて重い重い気分で心臓がバクバクしてくるのです。仕事は完全に苦しいもの、辛いものというのが心の底まですり込まれてトラウマです。
・最後の最後に
2年目なので、次年度いよいよ異動の可能性が高くなります。
長男も次は6年生。妻は中学入学と同時に妻の大阪の実家近くに引越す方向で考えているようでした。
すでに相談も何もない。
あと1年ちょっと。
私は故郷に帰りたい。故郷が恋しい。親も年老いてきた。
でも家族とも一緒にいたい。
できれば私の実家近くに住んで欲しい。
そう思っていました。何となくそんなことも思うと、尚更気が重くなりました。
2月、異動内示の日。
支社長は私を認めないと言った通り、またもや副拠点長に降格です。
今度は拠点長の直の部下。つまり同じ拠点内で働くスタッフ的な役割。
自業自得だけど凹みました。
ただ、降格ですが地域は考慮してくれて私の実家から近隣県です。
週末には車で帰れる距離。これは嬉しかった。
でも家族とは少なくとも1年間は更に遠くなる。
更に引き裂かれたような複雑な感覚。1年間家族にどうやって会いにいくのか。まさか会えないのか。
想像ができませんでした。
夫婦関係に完全な溝ができるのか? いや、すでにできているとも言えますが。
2年間、ほんとに堕落していました。情けないくらいに。
心が立ち直った訳ではない。このまま異動してどうなっていくのか。不安でした。
年度末が近付き、また自拠点や支社の年間売上目標を仕上げにかかる時期です。
自拠点は小さな拠点。小さな売上目標のくせに全然届きそうもありません。
力不足。やる気不足。自業自得です。
支社はというと、カツカツ達成できるかどうかというところ。
3月中盤に差し掛かり、50代のベテラン拠点長会長の大号令で拠点長全員が支社に集められました。
支社が年間売上目標をやり遂げるためのすり合わせです。
目標は、支社に課せられた年間売上目標を各拠点の力量に合わせて拠点毎に割り振っています。
だから、全拠点が年間売上目標を達成すれば支社全体も当然達成できます。
でも現実、拠点間で凸凹もできる。
目標以上にできている拠点。カツカツできそうな拠点。どうあがいても届きそうにない拠点。
区々です。
私の拠点はどうあがいても届かない拠点でした。
小さな拠点なので支社の目標の中の割合で言えば小さなものなのですが。
すり合わせの集会はかなり緊迫した雰囲気の中で始まりました。
他人の機嫌が悪いと敏感に感じ取ってしまいます。
周りがみんな重い表情。たまらなくしんどくなります。
HSPの特性でしょうか。
どの拠点があとどれくらい積み増しでやるか。
できてない拠点のカバーです。
できている拠点もムリをします。
できてない拠点は尚更要求されます。
できてないのにはそれぞれに事情があって今さらいきなりできる訳もないのに。
その場で「ここまでやります」と発表したらもうその数字は切れません。
ヤクザな世界。ずってもはってもやってこいってことです。
最後の最後だから。責任だから。
できてない拠点として確実にできそうな小さな数字でも言えず、かと言って大きく言い過ぎてできる自信もありません。
私はこういう時間がものすごく嫌でした。好きな人も少ないでしょうが、私は特に。
20人近くの拠点長が喧々囂々の話し合い。半分ケンカ腰。重い空気。
そんな辛い気持ちでいた時、やっと終わりに近付いたかと思っていたら、拠点長会長からいきなり当てられました。
「〇〇、何で今日は集まってると思う?」
私は咄嗟に「支社の年間売上目標を仕上げるためです」と答えました。
少し沈黙のあと、
「お前が切ってきた分をどうやって埋めるか考えるためにわざわざみんな集まっとるんじゃーっ!」と舌を巻いて大声で唸り倒されました。
私はただ「申し訳ありません」と全員の前でうつむいて呆然と立ちすくむしかありませんでした。
いわゆる吊し上げです。
他のできていない拠点にもピリッとさせる意味もあったのかもしれません。
でも私にはほとんど何が起きたのか理解できないような衝撃でした。
そんな時に、その後飲み会。拠点長会長らは切り替えて楽しそうに飲んでいる。
慰めてくれる拠点長もいましたが、私は顔面蒼白のまま。頭は空っぽ。
その時期の私は被害者意識の塊です。
「何で俺だけが?」何で本来仲間を守る役割の会長に吊るし上げられるのか?
上司である支社長ならまだしも。拠点長団全員から責められている気分。四面楚歌。
居場所がありませんでした。
最後の最後に。
次章:生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第8章-1
■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)
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