生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第6章


前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第5章-2

 

記事 第6章  ~目次~

6.再スタートのはずが

・また引越し ついてきてくれるのか
・新たな土地で
・強烈な拠点
・冷え切った夫婦関係
・死ぬとどうなる?
・「おまえは一人と違うぞ」
・子どもの野球
・義父母の頻繁な来訪
・1年で異動に

 

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6.再スタートのはずが

・また引越し ついてきてくれるのか

遠く引越すことになりました。
全く仕事中も上の空。心ここにあらず。
こんな家庭崩壊の危機の時に引越しって…。

修羅場だった日以降、妻には恐る恐る話しかける感じ。お互い口が重い。
妻から話しかけてくるのは大事な用事かしょうがなくの時くらいです。

妻もどんより重苦しいオーラをまとってる感じ。心が病んだ人の姿。
明らかに様子もおかしい。

私も病んでいる。
年度始以上に仕事なんかどうでもよくなっていました。
いろんなことが頭に入ってこない。
聞こえてはいても素通り。読んではいても素通り。見てはいても素通り。

降格はショックですが「どうにでもせいよ」って投げやりな感覚です。

それよりも妻が新たな赴任先についてきてくれるのか。
怖くて怖くてしょうがない。
3月、そろそろ引越しの準備も始めないといけない頃、恐る恐る聞きました。
「引越し、来るってことでええんやんな?」

間が空きました。ドキッ。

「行くよ」と小さな声の返事。
ホッとすると同時にほんとかなという不安でいっぱい。

聞き返しました。「来るってことでええんやね!?」
妻は面倒臭そうに「行くって言ってるやろ!?」

 

妻が仲良くなった夫婦とは子ども同士も仲良くなっていました。
ある週末に家族同士でお別れ会をするというので私も参加せざるを得ず。
場所は古いカラオケボックス。

子供たちは大騒ぎではしゃいでいます。

妻もこの夫婦といる時ははじけたようにはしゃいでいました。
ただし私にははしゃいでいても病んでいるのは見てとれました。

私は何とも肩身が狭い。居心地が悪い。気は使って時折笑顔はつくるけど、逃げ出したい気持ちです。

みんなの歌声が頭に入ってきません。
そのみんなのはしゃいでいる光景が走馬灯のように移り変わっていく。

広々した薄暗い部屋の片隅で私はなぜか涙がこぼれてきました。
この感情はなんなのか。

言い知れないもの悲しさ。
ガラガラと多くのものが崩れていく。多くのものが去っていく。
心は行き詰まっていく…。

 

引越す日が近づきました。
やっとパワハラの支社長からは逃れられる。
でもそれもどうでもいいような感覚。

引越しは私が先に赴任して数週間あとに家族が来ることになりました。
仲良くなった家族と名残惜しかったのでしょうか。

本当に家族はあとで来るのか。
不安なまま一人出発しました。

 

・新たな土地で

新たな住居に着きました。きれいなマンション。3DK。
家族の荷物も大半は持ってきました。持ってきたものの、本当にあとで家族が来るのか不安でした。

多くの引越しの経験から少しずつ荷物は減らしたり、全く開けないダンボールもありました。
それでも家族4人分の荷物。1部屋が荷物で埋まりました。

全く荷物整理をする気力も湧かず、必要最低限のものだけ出しました。

その後マンションの周りを車でうろついてみました。
赴任先は太平洋側の地方小都市。まだまだ田畑中心ののどかな町です。
でも少し行くと国道が走っていて、その周辺には大きなスーパー、レンタルビデオ店、有名な飲食店もけっこうありました。
役場のある町の中心地も近く、幼稚園や小学校もすぐそばです。
前任地とはずい分違ってあか抜けていました。

これなら家族が来ても少しは明るくなってくれるかも。
少しだけ明るい気持ちになりました。

ただ家に戻って荷物の山を見ると、また重苦しい気分が襲ってきます。

 

・強烈な拠点

あっという間に引越した土日は終わり、着任の日。初出勤。
今回は副拠点長として降格での異動です。
大きな本室と言われる拠点に付随した内設と言われる小さな拠点の拠点長。
本室拠点とは場所が離れています。だから副拠点長の役職でもやることは拠点長と同じです。
ただし、直の上司は支社長ではなく、本室拠点の拠点長です。
業績も本室内設合わせたものが問われることになります。

内設拠点は営業職員が20名もいない小さな拠点でした。
ベテラン勢にリーダーは置かず、私の直轄組織。

新人層は2チームで30才過ぎのリーダーが2人。全員女性です。男は私一人。

朝、支社部長の引率で向かいました。
着いても歓迎ムードはほとんどなく冷めた雰囲気。
リーダー2人は気を使ってくれましたがベテラン勢の何人かは不愛想で柄もよくない風情。
支社部長が来てるのに挨拶もしない。知らん顔。
嫌な印象の拠点でした。先が思いやられる。

思った通り、こっちは投げやり状態なのにトラブルは向こうから降って湧いてくる。

職員同士が「殺す」の何のって物騒な言葉を使って大喧嘩を始める。
とか、若い新人が契約をもらうことになるとつぶしにかかる大ベテランのばあさん職員。
とか、仕事の指示をすると「私は精神が弱いから指示は出さないで下さい」と平然と言う職員。
とか、自分勝手な人ばかり。
少ない人数だから余計目立つ。
対応に苦労しました。余計、内心は投げやりになりました。
小さな拠点だけど、とんでもないところに着任したと痛感することばかりでした。
支社幹部陣も、だからかこの拠点に近づきもしない。

 

ただ上司である拠点長も支社長も年輩の真っ当ないい人でした。
そこだけ救い。

・冷え切った夫婦関係

着任から2週間後くらいに家族は来ました。車に布団や少しの家財を詰め込んで。

来てくれたことに胸をなでおろす気持ちと、また家庭でも緊張した日々が始まるのかという重い気持ちが交錯していました。

妻にかなり神経を使いました。話しかけるべきか、そっとしておくべきか。心の中では常に葛藤です。
いずれにせよ雰囲気から察していくしかない。
前任地の仲のいい家族との別れなんかもあり、余計に病んだ人のオーラが満載。立ち居振る舞いがどこかおかしい。

私は話しかけるにも片言でほとんど単語に近い。一定の距離を置いてしまいます。
妻はほとんど無視か流すような素振り。

晩飯とかは普通に作ってくれる。子供たちには明るく接している。でも私とはほとんど会話がない。
辛すぎる。悲しすぎる。重すぎる。

ズバズバ言える性格ならよかったのに。HSP気質もあってか、相手の顔色ばかり見ている。

妻は換気扇の場所で堂々とタバコを吸うようになりました。
その姿を見てゾッとする。怒りもこみ上げてくる。
でもやっぱり何も言えず、見て見ぬ振りをしてしまう。
よりを戻したいから。妻の気持ちを取り戻したいから。

自己嫌悪の塊。あんなに上から目線で無視までしたのに。
今は逆。情けない。
タバコも自分は隠れてコソコソ吸う習慣が付いてしまいました。
今は逆。情けない。

ついてきてくれたのはどういう気持ちなのか。
まだ私に対しての気持ちが少しでもあるのか。
それとも子供や生活のことを考えてのことか。
ずい分思い悩みました。

今思えば、特に女性は生理的に相手を受け付けなくなると「同じ空気も吸いたくない」と思うようになると何度か耳にしたことがあります。
それが本当ならその時はまだそこまでは行ってなかったということでしょうか。

しかし、溝はそう簡単に埋まるようには思えませんでした。

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・死ぬとどうなる?

入社来、何だかんだ常に生きづらさを感じ、不安に襲われ、心は病んでいました。
HSP気質には辛い「営業」という常に人と対峙する、数字に追われる、競争させられる仕事。

前年度はとうとう燃え尽きました。
そこへ家庭崩壊の追い打ち。私は行き詰まっていました。投げやり。不安と憂鬱。嫌気…。
何がなんだか分からない毎日。
ノイローゼ?うつ?
仕事も何とかこなすだけ。いろいろなことが飛んでいる。

その頃から「死んだらどうなるんやろう?」。
「何のために生まれてきたんやろう?」。
「何でこんなことになったんやろう?」。

世の中にはもっと辛い境遇の人はたくさんいることでしょう。
でも当時の私は何で自分だけがと、まるで「世界で自分だけが不幸」という感覚に囚われていました。

夜中に一人になった時に包丁を手首にあててみたりしたこともありました。
もちろん死ぬ勇気なんてありません。悲劇のヒーロー気取りなのか。自意識過剰なのか。

 

 

・「おまえは一人と違うぞ」

仕事中でも家でも何か呆然としている。自分がない感じ。空虚感。
何もかも行き詰まったと感じている。仕事も家庭も、人生そのものが。

拠点長に成りたての頃、朝から緊張しまくって消耗してました。
その頃も緊張はもちろん毎日する。でも何か上の空ですべてが流れて行ってる感覚。
違った意味で消耗していました。

そんな状態でも当時は心療内科や精神科の病院にかかるなんて考えもしませんでした。
そんな病院へ行ったらもうレッテルを貼られて働けなくなるくらいに思った時代です。
生命保険ももちろんほとんど加入できなくなった時代です。だから余計にそう感じたのかもしれません。

病院へ行っていたら何かの診断はされたと思います。
ノイローゼ? うつ? 不安障害? 適応障害? 分かりません。

心が病んでいることは間違いありませんでした。

身体の症状も多く表れていました。
突然激しい不安に襲われて冷や汗が出たり、心臓がバクバクしたり、喉が締め付けられて息苦しくなったり、めまいに吐き気…。そんな発作のような症状はちょこちょこありました。

そんな毎日に耐えられず、ある夕方、支社の会議の帰りに車の中で幼なじみの親友に久々に電話しました。
「もしもし」と言われても上手く言葉が出ません。
「何やねん?どうしたんや?」と激しく聞く親友。
訥々と今の状況や窮状を話したような気がします。
じっと聞いてくれてました。

一瞬の沈黙のあと何かを察した親友が大声で言いました。
「おまえは一人と違うぞ!」
その言葉を聞いて、私の心の中で必死で耐えていた何かが崩れました。
突然とめどなく涙があふれ嗚咽して泣きました。
この瞬間、何か救われたような気がしました。
誰かに助けを求めることは恥ではない。救い。

もちろんそれですべてが解決するとか、心が急に元気になる訳じゃない。
でも助けを求めてよかった。そう思いました。

 

・子供の野球

長男は小学3年生。野球がやりたいと言い始めました。
休日に少年野球チームを見学。

監督に「打ってみるか?」と言われバッターボックスに。
ゆっくり投げてもらって、なんと外野にヒット。
すると打った瞬間、長男は2塁ベースに向かって全速力。そのままセンターへ。
「違うっ!」と叫ぶ親の声は届かず。アウト。
久々に笑えました。妻も笑ってました。
その姿を見て子供のお陰で何とか家族が保たれていることに妙な安らぎを覚えました。

長男はそのチームに加入し、野球を始めました。
毎週、土日早朝から夕方までビッシリ。
その地域の少年野球は親も熱心でほとんどの親が朝から夕方最後まで練習に付き添って手伝いをしています。

子供が野球を楽しんでいるのは嬉しい。がんばってる姿を見るのは楽しい。
でも週末だけが唯一の心の息継ぎの時だった私にとっては、土日早朝からずっと同じ場所で、しかもよその親に気を使いながらいるのは苦痛でした。

ただ妻の実家は全員スポーツ一家。妻は少しずつ息子の野球にのめり込んでいきます。
よそのお父さんは手伝いをせっせとがんばっている。妻は暗黙のように私に圧をかけてくるのが分かる。
嫌なら行かなければいいのにそうはできない自分がいる。
社交性のある妻は周りの親たちともすぐに打ち解けていきました。転勤族である子供が地域に早く受け入れてもらえるようにと考えていたようです。

私も営業畑の人間です。周りにいい顔をするのは忘れませんが、持ちません。自分を作っているからです。
神経はすり減っていきました。

妻は野球も含めて子育てにのめり込むことで心を取り戻しているようでした。

 

・義父母の頻繁な来訪

結婚来、お互いがお互いの親を大事にしようと言ってスタートしました。

私の親は昭和一桁生まれの昔の人間。
父は温厚。先祖に誇りをもって大事にするような父。母は生真面目。亭主関白な父を中心にした昔ながらの家庭。

妻の親は戦中戦後の生まれ。父は温厚だけど活発な人。社交家。母は激しい気性ながら人情家。娘二人をバレーボールで大阪府や全国区レベルまでに育て上げたスポーツ一家。

妻とは盆の休暇、年末年始の休暇でどちらの家から帰るのか、どちらに何日いるのかで結婚当初からよくもめました。子供ができてからは余計にもめました。
妻の親も大事。でも地元に長くいたい。仕事のストレスからの唯一の逃げ場だったから。ただそれだけです。

だからよく私より1週間以上早くから妻の実家に家族を帰しました。
それでも正月元旦は私の家という決まりが妻も義母もどこか気に食わなかったようです。
実に面倒に感じていました。

こんな葛藤をしてましたが、義父母は活動的。結婚来、頻繁に我が家に来ました。娘かわいさ。
孫ができてからは更に増えました。

その孫が野球を始めてからは更に増えました。私たち夫婦の心配もあったかもしれませんが。
週末金曜、仕事が終わってくたくたになって帰ったらすでにいる。
販売強化月間のような忙しい時期に限っている。

「ああ、ご苦労さん」と義父。私のいつもの定位置で座ってすでに飲んでいる。
私は帰っても神経を使う。自分の定位置に座れずすごくストレスです。
いいお義父さんお義母さんだから来てくれるのはいいんです。ほんと。
でも頻繁すぎませんかと。しかもくたくたの時期に。

妻も親には気を使いながらもベッタリな感じ。そりゃあ甘えたいのも分かるけど。
親離れしてくれとよく感じました。
いろいろ買ってくれたりお金の援助もある。私はありがたいけど望んではない。
でも妻は「お礼も言ってへんの?」と責めてくる。今初めて知ったのにってことも多々ありました。

 

・1年で異動に

冬が来て、生活も落ち着きました。長男は野球に一生懸命楽しんでやっている。次男もまねごとをして楽しんでいる。妻も仲のいい家族がまたできて楽しそうになった。農業のバイトも始めた。そして子供の野球にのめり込んでいる。一見落ち着いたように思うけれど、夫婦は進展なし。話はするけど必要最低限。しかも冷めた話し方で。

私は仕事も相変わらずやる気は起こらず流してる感じ。2年は最低いるのかなと先も見越して耐えていました。

そんな気持ちの中で2月、内示。異動。同じ支社、同じ県内の拠点。支社から車で3時間。家から車で3時間半。
もう他県と同じ感覚。
何で1年で?支社部長に私は思わずくってかかりました。
内容は拠点長復帰。つまり昇格。私を思いやっての人事でした。
でも当時の私は妻との関係が一番に頭にあって普通の思考回路ではなかったように思います。
長男が野球を始めたばかりで楽しんでいる。ようやく地域になじんできた。住みやすいところ。
それがいきなりずっと離れたまたすごく田舎の町。「それはないやろう?」と荒れました。

苦渋の決断で単身赴任することにしました。
しかし、会社的には家族が一緒に行けるのに行かないのは「勝手な単身赴任」ということで単身赴任が認められず、2つの社宅代は出ず、1つは手出しすることに。いくら拠点長復帰でも家計は厳しくなります。

 

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■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)

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