生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第5章-1
前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第4章-3
記事 第5章-1 ~目次~
5.30代半ばに向け、何もかも行き詰まっていく
5-1
・6回目の引越し・山陰地方へ
・古き良き時代の拠点
・がんばる環境
・2年目、必死でがんばった
・年間売上目標達成と放心状態
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5.30代半ばに向け、何もかも行き詰まっていく
5-1
・6回目の引越し・山陰地方へ
今回の転勤先は日本海側。山陰。雪深いと聞きました。
初めて冬タイヤも必要になりそうです。
前任地から家族で夕方に車で出発。
毎回転勤の時は業績や人間関係のしがらみからほんの一瞬解放された気楽さと、新たな場所への不安と新鮮さが入り交じった複雑な心境。
そんな心境で走り始めたところ、何と出発時刻の少し前に広島県で芸予地震と呼ばれる震度6弱の地震が発生していたため、しまなみ海道は一時封鎖されていました。足止めされ、車内で長時間待機。何となく前途多難を予期でもするようで嫌な気分でした。
結局朝方に到着。子供も小さく長時間の移動ですでにヘトヘト。
着くと何とものどかな原風景って感じの田舎町。前任地も田舎でしたがまだ町中は賑わいがありました。
そこは山と田んぼ、少し行くと日本海。漁港や浜辺が広がります。町中もビルらしきものもほとんどありません。古い町並み。産業も農業漁業が中心のようです。
当時、町にマンションが1棟もないらしく、新たな住居は2階建ての長屋。新しいのがせめてもの救いでした。
家の周りはほとんど山と野原。自然がいっぱいの小高い丘の上に建っています。
その頃、町の国道沿いに大きなスーパー等の複合施設が一つできたらしく、そこだけ違う町のような違和感がありました。
田舎町ながら飲み屋街らしきところもありました。
居酒屋数件にスナックがチラホラ。昭和チック。
着任後、歓迎会をしてもらったあと、好奇心でそのうちの1軒のスナックに思い切って入ってみました。
何と客はパッチ一丁で風呂上りに来ているおじさん1人。入って後悔するも遅し。
マスターはおじいさん。
やたらマスターは、ペラペラしゃべりながら手品を見せてきました。半ば強引に。で、どや顔。「ヤバ、出づらい」。
そんな手品をいくつか見て驚いたふりをしながら何とか話をふり切って店をあとにしました。
行った場所、行った場所で楽しめる性格の人もいます。でも私は故郷京都への望郷の念も強く、この遠い田舎町に着いて重い気分になっていました。
ただ、望郷の念とか言うものの、もしかしたらHSPの気質も関係してるのかなとも感じます。
自分のテリトリーから離れることでの不安を感じていたのかもしれません。環境が激変することは私には刺激が大き過ぎるのです。
・古き良き時代の拠点
拠点はその町の中心地にあります。中心とは言え、古い町並みにかわりはなく、周りには商店がチラホラという感じ。
中には「百貨店」と錆びた看板を掲げた古い2階建ての商店も。昔の小さなスーパーみたい。何とも昭和レトロです。
着任したのは20名程度の営業職員がいる小さな拠点です。
大半が50代~60代のベテランばかり。
規模の割には普通では考えられないような年間売上目標額を与えられている。
まだまだかけ出しの拠点長の私でも分かるようなムリなレベル。
こんなものができるのか。不安になりました。
実際に着任し、しばらく経って分かってきました。
職員たちはすごく真面目な働き者。
拠点長をすごく立ててくれる。拠点のこともすごく考えてくれる。人まで昭和レトロ。古風な感じ。
古き良き時代とでもいうのか何とも温かい。懐かしささえ感じます。
田舎特有の人のつながり。成績も多くはお付き合いで成り立っている様子です。
だから、ムリもする、成績ができる、資格は上がる、拠点の与えられる目標額もあがる…、
ってスパイラルです。
新人も増やさないといけない。でもちょうど働き盛りの若い人たちの母親はお客様が多い。
職員のムリにいっぱい付き合ってきてくれている方々です。
当然この仕事にいい印象はない。だから新人がなかなか来てくれない。
せっかくできても教えるリーダーはムリやりリーダーをやらされてる感じの優しすぎる人です。
人材がいない、なり手がいない。そのためか育たず辞めていく。
それで在籍が増えないのか。変な納得感。
・がんばる環境
この時の上司である支社長は、激しい人が多い中で珍しく優しい穏やかな人。
法人関係の支社部長もいい人でほんと細かなことまで無償の支援をしてくれる。
拠点長になって以来、より生きづらさや憂鬱な気分が顕著になってきました。
ましてや夫婦間の微妙な空気も引きずったままの転勤です。
どんより重い気分は常にありましたが、この働き者の職員や支社の支援に後押しされてがんばろうという気持ちになっていきました。
着任したのは小さな拠点。でも大きな年間目標額を抱えている。
それだけじゃない。小さな拠点は小さな拠点なりの苦労があります。
大きな拠点では、何となく職員間で派閥的なものが自然とあり、何か職員間でのもめ事や拠点への批判なんかもその中で消化されていくことが多々あります。
でも小さな拠点は1人が何かで騒ぎ出すと他の職員も巻き込んで拠点全体の大ごとに発展することもしばしば。
拠点長もいつの間にか巻き込まれます。
事務や対峙する顧客や職員も少ない分、楽そうに思いますがけっこう面倒くさいことも多くありました。
あるリーダーは「拠点長」に対しての執着がすごくて、他のリーダーを朝礼で褒めたりすると拗ねて手が付けられなくなります。
また、休日、夜間関係なく我が家に差し入れに来たり…。ありがたいことだけど、休日や時間外はそっとしておいて欲しいのです。会社もプライベートも一緒くたになるのが嫌でしようがない。
がんばってくれるリーダーでも、何とも面倒に感じてました。
そんな面倒さもあるものの、さすが愛社精神の強い人たちです。よくまとまってくれました。
大きな目標額を何とかやるべく、かなり厳しいことも職員たちに要求しました。今思えばただの根性論。他人の批判はするものの、自分も激しいことをやっている。
でも職員は、前任地でも経験しましたが、何を厳しく言っても拠点長の本質も見抜いている。批判もありましたが職員は付いてきてくれました。
がんばったけれど、残念ながら1年目は前任者が年度末ギリギリまで業績を詰めたこともあって年初から出遅れ、とても年間目標額達成にはおよびませんでした。
・2年目、必死でがんばった
1年目はあっという間に過ぎました。
妻も近所付き合いやママ友とも上手く付きあってくれていました。
でもこの時妻の心が少しずつまた病んでいってたことには気付いていませんでした。
私は2年目失敗するとヤバいという強迫観念もありながら、職員のがんばりや支社の支援に支えられ、2年目こそは何とかしたいという気持ちになっていました。
もちろん、毎朝の緊張や不安感は常にありましたが。
根性論や上下関係の厳しさ等が尊重された時代背景や、当時のまだまだパワハラなんか当たり前の風潮もあり、「厳しい拠点長でないといけない」「舐められてはいけない」、こんな強迫観念にも近い感覚が相変わらず心の底辺にはあったように思います。
自分の性分から言えば、職員とコミュニケーションをとり、上手く乗せて回していく協調路線タイプ。マネジメント型。もっとそんな方法を学んで実践すれば不安や悩みももっと少なかったと思います。
でも、どうしても陣頭指揮に立ちトップダウンで引っ張らないといけない、カリスマのようにならないといけない、とどこか感じているから余計に生きづらさを助長したのでしょう。
いつもは協調路線で職員のためにがんばりましたが、どうしてもそればかりだと拠点の雰囲気が引き締まらない、舐められてしまう、と思って定期的にムリして朝礼でガツンッと大声で叱ったりしてしまう。それで自分も疲弊する。
ある朝礼で、あまりにも売上げ目標が詰まらない、職員も詰めようとしていないと感じたので怒って「朝礼止めやっ」と朝礼を突然止めて、拠点を飛び出していったのです。もちろん半分芝居です。
愛社精神の強い職員たち。拠点長を立ててくれる職員たち。だからこそやったのです。
リーダーたちが迎えに来てくれました。「拠点長さん、気分を直して戻って下さい。がんばりますから」
その言葉を待っての行動です。ただの駄々っ子みたいですが。迎えに来てくれなかったらただのバカ。
内心は不安でいっぱいです。
今の時代なら「バカじゃない!? 放っておこう」って返ってドン引きされるか、パワハラで訴えられるのがオチです。
というかHSPがゆえに何かに怯えている気持ちの裏返しだったのかもしれません。とにかく、自分を演出する、ムリをする。
成長しながらですが何度も失敗、後悔も。繰り返しです。
ただ、当時は職員もそういう拠点長になれている部分もあって上手く対応してくれていました。
バブルは崩壊してました。でも多少のムリを聞いても何とか元はとれたのだと思います。
こんなやりとりをしながらも職員たちとは仲良くやってました。
2月、新年度の内示が出ました。3年目もそのまま。まさかと思いました。こんな目標額のキツい拠点、3年目なんてムリ。周りの大ベテランの拠点長が支社長に抗議してくれました。「こんなキツいところを3年目持たすなんてかわいそうだ」と。
支社長は業績が何とか上手く行ってるから引き続きと思った様子。もうひっくり返ることはなし。かなり凹みました。
・年間売上目標達成と放心状態
年間目標額も射程距離になってきました。私自身も珍しく育成担当リーダーの代わりに日曜日に新人の同行をしたり。休日返上。
普段では考えられないような努力はしてました。
そして上司と上手く絡めなかった私が支社長に「必ずやり遂げますから」とか強気な発言もしたり。
相手が穏やかな人だと自分を出せました。
3月、2年目は何とかかつかつで年間目標額をやれるかどうかのレベルで推移。
あと少し、でもまだまだにも思える。年度末が近づき、そんな状態でも切れずにがんばりました。
年度末の〆切も近くなった頃、毎晩遅くまでみんなでがんばりました。
「思えば通じる」。期限ギリギリでしたが年間目標額をやり遂げることができたのです。みんなで万歳三唱。
でも内心は、達成感と言うより放心状態。「やっと終わった」という感じ。気力は残ってませんでした。
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■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)
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