生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第2章




 

前章: 生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第1章

 

記事 第2章 ~目次~

2.激しい社会人生活のスタート

・なぜ生命保険会社に入社したのか
・いざ入社
・初めての寮生活
・ホームシックと酒
・身体にも様々な症状がでた

 

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2. 激しい社会人生活のスタート

 

 

・なぜ生命保険会社に入社したのか

時は平成の始め、バブル景気末期、私は大学3回生。大学にほとんど行かずバイトに明け暮れ、夜は飲み歩く毎日でした。

HSP気質の私もこの時期は浮かれてました。

ただHSPに限らずこの年頃なら誰もが将来に漠然とした不安は感じてたんでしょうね。
私も遊びほうけているものの、心の片隅の不安と憂鬱は拭えていませんでした。

多くの同級生はサークル活動等で学生生活を楽しみながらも堅実に就職活動も始めてました。
この時代は青田狩りと言って優秀な学生を企業が採りあい、早くから内々定を出して押さえにかかることが横行していました。

遊びほうけていた私。就職を気にはしながらも頭の中は飲むことと彼女探し。夜ごと新しい女の子との出会いを求めてウロウロ。バカ丸出し。
それでも不安や生きづらさはどこか抱えているんです。

バブル景気は企業も麻痺していました。学生でバイトの私にも銀行はカードローンとかをどんどん作ってくれと言ってきました。
私も麻痺していました。どんどんカードローンを作り、まるで自分の資金が増えた気分になっていました。
ほとんど祇園のラウンジの飲み代で消えていきました。

気が付けば多重債務者。何度か支払いに困り、バイトでの前借りや友人に借金して乗り切りました。
この時の恩は今でも感じます。

かなり焦りながらも のほほんともするバカ者。

就職は自分としては美術が好きなので「CMプランナー」みたいな仕事に憧れていました。
なので、電通、博報堂などを漠然と考えていました。身の程知らず。

ようやく就職活動をし始めました。
成人式で新調してもらった紺のスーツが暴飲暴食ですでにパンパン。

何から始めていいか分からず、大阪で広告代理店を片っ端に飛び込みました。
スマホなどない時代。当然事前情報もありません。
ほとんど門前払いでした。説教された上に追い出される企業もありました。

電通にたまたま大学の先輩を見つけ、OB訪問させていただきました。
聞くと小さな広告代理店で実績を積み重ね、中途入社とのこと。その先輩から聞かれました。
「英語は話せる?」「いや話せません」「じゃあ、やめといた方がいいよ」
そこで終わってしまいました。
広告代理店の多くは新聞のチラシ等の営業のような私の思う仕事とは全く違っているという現実を知りました。

話は少し脱線しますが、スピリチュアルなことを私は信じています。

そんな頃の飲んで帰ったある夜、家に入ると両親が真っ青な顔で私を見るのです。

「何?」
すると母が「あんたさっき電話してきたやろ?」

「してへんで。何で?」と私。

聞くと、私を名乗る男が電話してきて母に絡んできたらしいのです。エッチな話をしたり、あげく近所の生保営業をしているおばちゃんと一緒に旅に出ると言ったらしいのです。母は真に受けて取り乱していました。父も青ざめた顔でこっちを見ています。完全に自分の子の声を聞き分けられずに信じていました。今で言う「オレオレ詐欺」なら完全に騙されたはずです。

「そんな訳ないやろ?」何ともイラッとして怒って私はまた外に出て行きました。

今でもなぞです。具体的に近所のおばちゃんの名前まで出していたずら電話してきたのはいったい誰なのか。

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なぜこんな話をしたかというと、その数週間後、その生保営業をしている近所のおばちゃんに就職活動中に出くわしたのです。

「〇〇くん、何してるの?」私に声を掛けてくれました。
「いや、就職活動してるんです」と私。
すると「うちにおいでよ。上司に紹介してあげるよ」
「はあ、ありがとうございます」
その時はこれで終わりました。

当時BARでバイトしていた私はバイトの同学年の同僚に聞きました。その彼は有名大学で当時強かった生保業界の内定を総なめにしてました。
生保は会社によって特徴はあるものの、給与は他の業界とは並外れている、と聞きました。

自分の中ではこれしかないって、どこかで感じてました。

なぜか?

【自分にとってのメリット】

・有名企業で親を安心させられる
・給与がよくないと借金が返せない
・自分の大学の水準で入りにくい企業である
・営業管理職「自分の城が持てる」が謳い文句
・自分の見栄を満たせる
・全国規模である
・手っ取り早く内定が早く欲しい

【自分にとってのデメリット】

・全国に転勤がある
・苦手な数字を追う営業の世界である

地元京都が好きなくせに大都会に出てみたいという願望もありました。華やかさへの憧れでしょうか。

その後、実際に営業所の拠点長と面談しました。そして本社への紹介を受けました。
とんとん拍子で面接が進み、内定に至りました。バブル景気ならではです。

この時、やっと以前の「私を名乗るいたずら電話」とつながるのです。

もしかして「予知」だったのか?
おばちゃんと旅にでるというのは同じ会社に入ることだったのではないか!?
勝手にいろいろ思いを巡らせました。

しかしまあ内定をもらった途端、広告代理店への熱意はどこへやら。
給与がいいし、有名企業だし、親への面目もたつ。

ここでもやはり世間体を気にしてる自分がいました。
HSPならではでしょうか。「いい子」でいたかったのだと思います。

3月の入社前に紹介してくれた拠点長に誘われて営業拠点に手伝いに行きました。

年度末の年間目標をやり上げる時だったのでしょう。
朝礼でその拠点長はハチマキをして営業職員に叱咤激励というより、怒鳴り散らしてホワイトボードをバンバン叩きまくってました。
今では完全パワハラでアウトです。
40才前のその拠点長は私にもいかに自分ができる人間かと自慢話ばかり。
「まずいところに入社することになったのではないかな」不安がよぎりました。

朝礼が済むと昼間は他の拠点長らと集まって昼からビールを飲んで雑談。夜は祇園のラウンジを経費ではしご。
「まずいところに入社することになったのではないかな」また思いました。
当時は経費は使い放題のレベルだったようです。

支社長と呼ばれるその地域の営業拠点群のトップ。いわゆる人事権者。紹介してもらうためにその拠点長に付いていきました。
その拠点長はまるで豹変。殿様の前にでるようにかしこまって「ははぁっ」って感じ。びっくりしました。
「まずいところに入社することになったのではないかな」改めて思いました。

もう後には引けず、入社。

 

・いざ入社

東京で合同の入社式。私は営業畑一筋のコースで入社。東西すべての職種合わせて500名ほど。そのうち関西の営業管理職コースは50名ほど。
そして2週間ほど研修所で缶詰め状態。軍隊調、体育会系。そりゃあ、遊びほうけた学生上りをピリッとさせないといけないのは分かりますが…。

 

・初めての寮生活

初めて実家を離れての実質一人暮らし。

営業畑コースの者だけの寮。
場所は大阪ど真ん中。
引越しの時は寂しさと何かワクワク感も混じっていました。
初めて堅苦しい親との同居から離れられる。大都会大阪で住める…。単純…(汗)

不思議と素直な気持ちになって、父に入社前に感謝の手紙を書きました。恥ずかしかったけど…。ずっと後で父が亡くなった後、その手紙が大事にしまってあったのは嬉しかったですね。

寮は5階建。私は4階でした。6畳1間にベッド、洗面、勉強机があります。しかし入り口からの段差はなく廊下からのホコリが隙間からどんどん入ってきます。窓を開ければすぐ隣のビルでエアコンの屋外機等の音でとても開けてられません。都会がすぐに苦痛になりました。

トイレ、風呂、食堂は共同。夜10時以降に帰れば晩飯が冷蔵庫に。油ものはすっかりシネーッとして食べられたもんじゃありません。そして4年間は結婚しない限り寮生活。
先輩を含めて約200名、うち同期生は50名ほど。実質の共同生活がスタート。
共同っていうのは私が一番苦手なことでした。

・ホームシックと酒

自分の好き勝手にしてればよかった学生時代。あまりHSP気質を意識しなくて済んだ唯一の時代かもしれません。

一丁前の営業管理職になるために4年間の実践研修カリキュラムが始まりました。
自己啓発の本も読み漁りました。その気になっていました。張り切ってたんです、始めは…。

朝、普通に出勤し、夜は10時過ぎるのが当たり前。学生のような夏休みや冬休みなんてあるはずもなく、ただただ会社生活。家は寮。帰っても先輩や気が合う合わない関係なく同期生もいて気が張っています。気が休まるときがなく、自分の甘さ、弱さにがっかりしました。
中学生時代、強烈なヤンキーに囲まれて生きてきた人間としては、そこらの軟に見える先輩に先輩風を吹かれるのも我慢がなりませんでした。変なところだけプライドが高いんです。

営業の実践がスタート。決められた地域に何のリストもなく飛び込みのみの営業。アンケート回収からなじんでいくための訪問、そして保険提案への流れ。他人に神経をすり減らす性格の私は毎日くたくた消耗してました。そこへ成績を同期で競争させられる苦痛。私の一番苦痛な世界。常に品評会にかけられてる商品の気分。
すぐに疲弊していきました。
毎晩、ビールに溺れました。同期は「豪快やな」と違った見方をしてましたが、私はただ酒に溺れていただけです。

土日は必ず実家に帰りました。一時でも仕事関係の人や地域から離れていたかった。そして実家や地元に浸っていたかった。
ホームシック。初めての体験です。親元を離れたい願望は何だったのか。自己嫌悪に陥りました。

日曜のサザエさんの曲でまた重い気分になる。サザエさん症候群。
心臓バクバク。呼吸は乱れて、嫌で嫌で嫌でたまらない気分になる。

 

今思えば、入社当時は同期生もいて、気持ちの逃げ道もまだあったのだと思います。でも甘い学生生活からのギャップで完全に心身がやられてました。

2年間の営業実践が終わり、3年目は本社の全く違う部署での実習。この時は財務関係の部署に配属されました。
同じ会社でこれほど違うものかと感じるシーンとした役所のような部署でした。この間だけ残業も少なく、普通の会社員になった気がしたものです。

 

・身体にも様々な症状がでた

身体は正直です。学生生活からのギャップ、長時間労働、学生と違い好き嫌いを言えない人間関係や上下関係、ホームシック。ストレスでパンパンな日々。まず現れたのは全身に出たみみず腫れとかゆみ。そしてめまい。吐き気。
夜の飲み過ぎもあって朝起きるのは超苦痛。
この頃から、水泳に例えると週間単位で平日息を止めてクロール。週末やっと息継ぎでハーハー。月曜にまた息を止めてクロールするような感覚。

「また会社かぁ」さっき寝たばかりなのに。前向きにはとても思えず。苦痛な日々でした。

もちろん、同期生もいろいろで同じようにストレスを抱えているようなやつとイキイキ楽しそうにしてるやつと、同じことをしているのにいろいろです。
性格というか心の持ちようというか、いきなり洗礼を受けたような船出でした。

こんな症状が本社実習になるまで続きました。

少しましな生活と思ったのもつかの間。

短期間の本社実習が終わり、また激しい営業現場に出ていきます。

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次章:  生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~ 第3章-1

 

■シリーズ目次
生きづらいと感じてきたHSPの私 ~視点を変えればすべてが新境地~(はじめに)

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